
(キハ601・2007年2月24日・小川高校下~桃浦)
霞ヶ浦付近を走るのんびりした非電化路線で、自衛隊百里基地への燃料輸送で成り立っていましたが2001年に燃料輸送が中止となったため経営が悪化。存続運動が繰り広げられましたが2007年が4月1日に廃止されました。
廃線後、石岡~四箇村間の路盤は舗装されてバス専用道路に転用。BRTと呼ばれるバスの運行を開始。並行道路の渋滞を尻目にバスが走り回っています。
四箇村~鉾田間の線路は踏切部分を除き撤去完了。駅舎もほぼ撤去が完了しています。常陸小川駅はホームも撤去されて更地となり、その敷地の形と駅前の通りが駅があったこと感じさせてくれるのみとなっています。
常陸小川~小川高校~桃浦の先までは霞ヶ浦ぞいの畑の中を走っていました。交換可能な駅だった桃浦は待合室と一体となった転轍小屋が残っていました。

ホームもしっかり残っています。

脇には井戸も残っていましたが、駅前にあった駐在所は廃止されたようです。
桃浦を出たあとも霞ヶ浦沿いに走っていた鹿島鉄道ですが、なぜかそのまま山間に入って行きます。そして山間に八木蒔駅のホームが残されています。

待合室も残されていますが桃浦から一転して、まるで秘境駅みたいな寂しい駅に思えました。
八木蒔を出ると、鹿島鉄道はふたたび霞ヶ浦湖畔に戻っていましたが、浜駅から大きく左にカーブして今度こそ山間に入って行きます。この山間を抜けると川を渡って玉造町駅に到着します。

鉄橋は近代的なコンクリート橋で、まだバラストがそのまま残っていました。
玉造町駅の駅舎もきれいさっぱりなくなってしまいました。

いずれは整地されるのでしょうね。
玉造町駅の北側には築堤とがーダー橋が残っています。

付近に民家はありますが、交通量もとても少なく、とても駅の近くとは思えない雰囲気です。
燃料輸送の基地だった榎本駅には油槽所の痕跡も残っていましたが、整地されるのは時間の問題のような感じでした。この榎本駅からは先はさらに田舎色が強まります。
借宿前駅はまさに山間の小駅といった感じですね。

待合所もまだ残っていますが駅名標などは撤去されたようです。

借宿前駅からさらに山間を走り、視界が開けたところに巴川駅の跡があります。

このその駅名の由来となった巴川を越える鉄橋。

結構立派な鉄橋ですね。
巴川を出た後坂本駅を経て終点の鉾田駅となります。関東の駅百選にも選ばれた駅でしたが、残念なことに駅舎は取り壊されています。

現在のところ、特徴的だった2面1線ホームはまだ残されていました。

しかし整地されるのも時間の問題かも知れませんね。
廃止時の鹿島鉄道には9両の気動車が在籍していましたが、そのうち鉾田駅で保管していたキハ601とKR505の2両はほっとパーク鉾田に移設されて動態保存されているそうです。またキハ714、キハ431、KR501の3両は鹿島鉄道保存会の手で小美玉市に建設された鹿島鉄道記念館で保存されていますが、公開日限定で住所も非公開となっています。
KR502、KR503、キハ602は残念ながら解体されてしまいましたが、キハ432は小美玉市の病院で保存され、患者さんの休憩所として利用されています。

保存状態は良好のようでとてもきれいでした。今後ともきれいな状態を維持していってもらいたいものですね。
