
(クハ481-17・大宮総合車両センター・2002年5月25日)
1991(平成3)年にJR東日本は異常時の取り扱いや応急処置を定期的に実施するための訓練車を各車両基地に配置。485系はモハ484を訓練車のモヤ484として勝田電車区と青森運転所に配置されました。
クハ481-17は「ひたち」のヘッドマークを掲げていますが裏側にうっすらと「訓練車」の文字が見えます。また側面には訓練車を示す白いラインが配されていました。
勝田K26編成はクハ481-17+モハ485-61+モヤ484-2+クハ481-26の4両編成を組んでいましたが、このうちクハ481-26と原形復帰したモハ484-61が鉄道博物館に保存されています。
夏には青森へ遠征。1989(平成元)年以来13年ぶりでしたが、気がつけば485系3000番代が走っていました。

(「はつかり」クロハ481-3000・青森・2002年8月6日)
485系3000番代は1996(平成8)~2001(平成13)年にかけて485系1000番代を中心大規模なリニューアル改造を実施したものです。デザインはJR東日本E3系を始め、在来線電車のデザインを多数手がけているGKインダストリアルが担当。
「はつかり」は上野口特急のパイオニアであり、東北系特急のエースでしたが、1982(昭和57)年11月15日以降は東北新幹線接続特急として発展してきました。そしてE751系「スーパーはつかり」が130km/h運転を開始する中、485系をリニューアルして陳腐さを払拭したわけですね。

(「はつかり」クハ481-3005・浅虫温泉・2002年8月7日)
前面はFRPで作り直され、ランプ類は一新。運転台も大がかりな改造が実施されていますが、正直言うとちょっと残念な姿ですね。
もちろん485系原形車も走っていました。

(「はつかり」クハ481-346・青森・2002年8月7日)
通常は6両編成ですが、多客期は電動車ユニットを増結して8両編成となります。それにしてもやっぱり国鉄特急色はホッとしますね。
「はつかり」とはこれでお別れ、次にこの地を訪れた時は「白鳥」になっていました。
2002(平成12)年は1982(昭和57)年の上越新幹線開業から20年ということで、この年の12月14~15日に183系を使用した「思い出のとき」が運転され、自分も乗車しに行きました。
新潟では上沼垂運転区の485系を久々に見かけました。

(「くびきの」クハ481-333・新潟・2002年12月15日)
なにか違和感があると思ったら、ジャンパ連結器の栓納めがついているのと特急シンボルマークがありませんでした。この車両は「ひたち」で使用されていた勝田電車区時代に改造されたようです。
思えば1500番代とも久々の再会だったような。

(クハ481-1507・新潟・2002年12月15日)
それにしても183系は特急シンボルマークがないのが誠に残念でした。
「思い出のとき」に乗車して新津での長時間停車中に見かけたのは485系700番代カーペット車「NO.DO.KA/のどか」。

(クモハ485-701・新津・2002年12月15日)
485系1000番代の機器を流用しているので485系を名乗っていますが、種車はサロ189で1990(平成2)年にリクライニングシートを装備した「シルフィード」クモロ485-1+モロ484-1+クロ484-1
として登場。2001(平成13)年1月に普通車化されてクモハ485-701+モハ484-701+クハ484-701となり、10月にカーペット車となっています。クハ(クロ)484にはディーゼル発電機が搭載され、非電化区間でもディーゼル機関車の牽引で運転可能。この時もDE10 1701が連結されていました。

(DE10 1701・新津・2002年12月15日)
このDE10 1701ですが、その後JR貨物に譲渡され、現在は愛知機関区で放置中。
最後は話が逸れちゃいましたが、このあとしばらくは毎年のように485系との時間を過ごすようになりました。