
りんかい線と言えば埼京線(山手線)大崎駅から京葉線新木場駅を結ぶ路線で、当然ながら大井埠頭は通りません。ではなぜここに車両基地があるのでしょうか? その理由はりんかい線の原形だった京葉貨物線に遡ります。
京葉貨物線は山手貨物線の外側20kmを通過する貨物環状線である東京外環状線の一部として計画されました。
この東京外環状線は東海道本線、中央本線、東北本線、常磐線、そして総武本線のいわゆる放射5幹線を接続する路線として構想されました。
このうち松戸市小金を起点として川崎市小倉を終点としたのが武蔵野線で、新松戸~西浦和の武蔵野東線、西浦和~府中本町の武蔵野西線が1973(昭和48)年4月1日に旅客路線の武蔵野線として開業しました。

また府中本町~新鶴見間の武蔵野南線は1976(昭和51)年3月1日に貨物線として開業。貨物線ですが臨時列車として旅客列車は走行しています。

小金線は船橋市を起点として松戸市小金を終点とした路線ですが、1978(昭和53)年10月2日に武蔵野線として開業しました。

ただし開業当初は貨物列車は運転されませんでしたが、2000(平成12)年12月2日から貨物列車の運行も始まっています。
武蔵野線、小金線とともに東京外環状線として計画されたのが京葉線。川崎市塩浜を起点として木更津を終点としていましたが、塩浜~東京貨物ターミナル間は1973(昭和48)年10月1日に東海道貨物線として開業しました。

京葉線としては1975(昭和50)年5月10日に千葉貨物ターミナル~蘇我間が開業。しかし開業当初は千葉製鉄所の専用線を利用していました。後に国鉄線を建設しました。

この姿が本来京葉線のあるべき姿だったのですよね。
1986(昭和61)年3月3日には京葉線西船橋~千葉貨物ターミナル間が開通。旅客営業としては西船橋~千葉みなと間で営業を開始して103系が投入されました。

日中の4両編成も今は懐かしいですね。
1987(昭和62)年4月1日のJR東日本発足ののち、京葉線は東京~新木場に新規路線を建設し、東京~蘇我間が1990(平成2)年3月10日に開業しました。

新規区間の内東京~越中島は放棄された成田新幹線の用地を流用しました。
未開業のままだった区間の内、新木場~東京テレポート間は1996(平成8)年3月30日にりんかい線として開業。

りんかい線と京葉線は物理的につながっていて、りんかい線の車両は京葉電車区(現京葉車両センター)で検査されていました。
2001(平成13)年2月8日には完成していた残りの区間を利用して東臨運輸区を設置。この時点で京葉線塩浜~蘇我間は、運行形態が3つに分かれたものの全通したことになります。
余談ですが途中の品川埠頭分岐点から大崎へ延びる路線を建設し、2001(平成13)年3月31日東京テレポート~天王洲アイル間、そして2002(平成14)年12月1日に天王洲アイル~大崎間が開業しました。
京葉線の予定だった名残は東臨運輸区にも見ることができます。

基地の左側にある線路がそうなのですが、このように路盤はまだあるので線路をつなげれば直通運転をすることは不可能ではありません。
東京外環状線は線路的にはできあがったのですが本来の使い方となっていないのは皮肉なものです。特に大井付近がちゃんとつながるといろいろ面白い列車が走りそうなんですけどね(笑