はい!
ビフォー

(東武キハ2003・熊谷・1983年5月)
アフター

(秩父鉄道7704・熊谷・2012年7月25日)
古い写真も上越新幹線開業後なので、その情景はほとんど変化がありませんが、走ってくる車両は大きく異なります。もちろん2010(平成22)年から営業運転を開始した元東急8090系の7500系が走っているなんて言う話ではなく、1983(昭和58)年5月31日に廃止となった東武熊谷線のキハ2003が走っている線路と、7500系が走ってくる線路が同じだというところがポイントです。
東武熊谷線は1943(昭和18)年12月5日、熊谷~妻沼間を開業しました。開業の目的は終点妻沼駅の利根川対岸にある中島飛行機への工員と資材輸送という典型的な軍事路線でしたが、結局利根川を渡る鉄橋が完成する前に終戦。
1954(昭和29)年にキハ2000形を3両導入し、廃止まで活躍しました。
そんな東武熊谷線でしたが、熊谷駅は開業時より秩父鉄道の5番ホームを間借りしていました。そのため、秩父鉄道の5番ホームは途中で寸断され、羽生~熊谷運転線用ホームとなり、熊谷をスルーする列車は6番ホームしか使用できないため、列車交換ができないという状況が続いていました。
1983(昭和58)年の東武熊谷線廃止後はこの区間の線路が乳仏道に返還されたため、現在は秩父鉄道の電車が入線しています。またSLパレオエクスプレスも5番線に入線します。
東武熊谷線廃止の原因は経常指数500を超える赤字線だったことと、上越新幹線開業伴う熊谷駅自由通路開設に対して秩父鉄道が東武熊谷線借用区間の返還を条件としたことによるらしいです。
東武熊谷線の廃止後、秩父鉄道を走る電車は何世代も入れ替わりましたが、このお話はまた別の機会にしたいと思います。