そしてSLの撮影後、蘇我駅で113系などを撮影していました。

(クハ111-1601・蘇我・2007年2月13日)
6連のマリS65編成の最後尾車クハ111-1601はリニューアル車。1979(昭和54)年8月9日に落成し大船電車区に長らく在籍した後1996(平成8)年に幕張に転属しました。そして2010(平成22)年11月12日廃車となりました。
クハ111-2100は65両製造されましたが、JR東日本が承継した車両のラストナンバーはこのクハ111-2164。

(クハ111-2164・蘇我・2007年2月13日)
東海道線からの撤退で転属してきたグループで、6連のマリ51編成を組んで2010(平成22)年3月17日に廃車されるまで力走を続けました。なお2100番代ラストナンバーの2165はJR東海に承継され、1988(昭和63)年に2205に改番。2007(平成19)年1月12日に廃車となっています。
5月に関西方面に出張した際には、京都総合運転所のカフェオレ+湘南色混結のキトL09編成に乗車。

(クハ111-7707・堅田・2009年5月21日)
先頭車は2700番代の体質改善40N車で高速化で+5000の7707となっていますが、この車両はJR西日本が2002(平成14)年にクハ111-7121(2121の高速化車)を寒冷地向け改造した車両です。同様の改造を施したクハ111-7700は4両あり、国鉄時代に改造した4両を高速化したグループとオリジナルの2700番代を高速化した2両で全10両となりました。
中間車はシートピッチが狭いモハ112+113-5717ですが、モハ112はパンタグラフを増設しています。
夏の和歌山出張の際には、念願の阪和色の撮影に成功。実はこの塗装が一番好きな塗装だったりします。

(クハ111-5559・和歌山・2009年7月12日)
象牙色(灰色9号)に青22号のラインを巻いた阪和色は、もともと京阪神間の新快速用153系が採用した塗色。1972(昭和47)年に阪和線にも新快速が設定された際に、113系をこのカラーで塗装。阪和線新快速は1978(昭和53)年に廃止されましたが、塗色は継続されたばかりか、紀勢本線の電化で活躍の場は広がりました。なお、青22号は京浜東北線の色なのですが、吹田工場の青22号はご覧のように色調がちがいます。そのため青22号帯特色と呼ばれています。
その後153系が117系に置き換えられたため、この新快速色が阪和色として定着していたのですが、223系に置き換えられて2011(平成23)年12月10日で運用を離脱したようです。
ヒネG403編成の先頭に立つクハ111-5559は、1977(昭和52)年11月に落成。高槻に新製配置後、網干、日根野、岡山、宮原、日根野と渡り歩きました。モハユニットはアコモデーション改善車のモハ112+113-7057。しばらく日根野に留置されていましたが、5月29日に岡山へ回送されています。
実は今年6月11日の四国出張の際に、岡山で阪和色を挟んだ編成を見かけたのですが、どうやら元広島F16編成とモハユニットを入れ換えて組成しているようで、そのようなわけで混色ではありますが、岡山では阪和色が2編成存在することになります。
毎年8月になると東京総合車両センターが一般公開されますが、目玉イベントのひとつが試乗会です。そして2009(平成21)年は113系マリ117編成が使用されました。この編成とS62編成は6月に湘南色に塗り戻されていたので大人気となっていました。

(クハ111-2152・東京総合車両センター・2009年8月22日)
このマリ117編成はJR東日本最後の湘南色113系として2011(平成23)年7月7日に廃車されるまで活躍しました。
2010(平成22)年3月。実に26年ぶりにセノハチに赴きました。山陽本線瀬野~八本松の20‰連続上り勾配区間は、現在は抑速ブレーキ付の115系の独壇場となっていますが、一部のクハ111は主幹制御器(マスコン)を交換した115系の抑速ブレーキを制御できるよう改造され、下関に配属されました。この瀬戸内色H-01編成はクハ111-811、812が連結されています。

(クハ111-812・八本松~瀬野・2010年3月11日)
113系800番代は福知山線電化の際に0番代初期車を寒冷地向け改造したグループで、812は偶数向きCP付のクハ111-398を1986(昭和61)年10月24日に改造しました。その後1999(平成11)年に下関に転属しています。
クハ111-812はシールドビーム化改造されていますが、改造コスト削減のため大目玉のケースに収めたのが特徴で、「チクビーム」などと揶揄されています。
なお写真ではわかりにくいのですが、集約分散形冷房装置WAU102を3基搭載しています。
9月26~27日は房総線にお召し列車が運転されたため、沿線は大賑わいとなりました。そして外房線を中心に最後の活躍をする113系を撮る機会に恵まれました。

(クハ111-252・誉田~土気・2010年9月26日)
マリ102編成は撮影1ヶ月後の2010(平成22)年10月31日に廃車となりました。
外房線では4連を2本連結した8両編成も多く見られました。

(クハ111-1064・誉田~土気・2010年9月26日)
1972(昭和47)年以来ずっと幕張に在籍していたクハ111-1064は2010(平成22)年12月22日に廃車。
209系の投入が急ピッチで進む中、外房線は比較的113系が多く走っていた印象でした。

(クハ111-1039・八積~上総一ノ宮・2010年9月26日)
しかし113系の廃車ペースは早く、このクハ111-1039も2010(平成22)年11月25日は廃車となっています。
お召し列車が内房線を走った9月27日はあいにくの雨模様。

(クハ111-1454・君津~青堀・2010年9月27日)
155両製造されたクハ111-1300でしたが1455は2009(平成21)年に廃車されていたので、この1454が現存ラストナンバーでした。しかし2010(平成22)年10月31日に廃車されてしまいました。
11月は久しぶりの岡山電車区詣をしました。
すると、電車区とは別の敷地に113系5800番代嵯峨野ワンマン色が留置してあるのを発見。

(クモハ112-5803・岡山電車区・2010年11月7日)
113系800番代の高速化改造車ですが、湘南色にクリームのラインが加えられていました。
クモハ112-5803は国鉄時代の1986(昭和61)年、モハ112-81に運転台取り付け改造を施したもので、改造以来福知山に配属されていましたが2010(平成22)年8月31日に廃車となっています。つまりこの時は車籍がない状態だったというわけですね。
ちなみにこの車両はバス用の冷房装置WAU202を搭載していました。
同じ日にはチクビームのクハ111-268にも乗車。

(クハ111-268・岡山・2010年11月7日)
このクハ111-268はクハ111-462を方向転換改造したものです。現在は下関に所属していますが、保留車として留置されているようです。
年末になると113系の運用本数はめっきり減ってしまい、撮影するのも困難になってきました。ようやくやって来たマリ217編成。

(クハ111-242・蘇我・2010年12月25日)
クハ111-242は1977(昭和52)年3月28日に製造され、静岡運転所に配置されましたが、分割民営化直前の1986(昭和61)年11月1日に国府津に転属しています。そしてJR東日本113系のラストを飾りました。
マリ218編成の先頭に立つ、クハ111-1000ATC車。

(クハ111-1072・蘇我・2010年12月25日)
最も総武線らしいクハ111-1000でしたが、一番最後まで残ることはできず、クハ111-1072も2011(平成23)年7月7日に廃車されました。
しかしこのクハ111-1072は上田の民宿「夢ハウスあずさ号」で保存されることになりました。
そして湘南色のマリ118編成と再会。クハ111-2152も「夢ハウスあずさ号」で保存されています。

(クハ111-2152・蘇我・2010年12月25日)
湘南色と横須賀色の混結というのも違和感がなかったわけではないですが、イベント列車的で面白かったといえますね。
この頃になるとJR東日本113系の終焉感が一気に高まってきた感じでした。
(続く)
【過去の113系記事】
113系その1
113系その2
113系その3