【国鉄形電車の思い出】Part21 165系(その3)最後の165系は特急用! 私鉄だけど(笑 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

上野口の急行運用消滅ですっかり興味を失った165系。JR時代に入り、さらに自分が免許を取得して車に興味が移ってからはますます距離が開いた感がありました。
そんな中、友人と新潟県へドライブに行った時、柿崎変な色をした電車が遠目に見えたので、近づいてみたら165系「くじらなみ」でした。
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(快速「くじらなみ」クハ165-96・潟町・1989年8月)
新前橋の165系を波動用に塗り替えたモントレー色で、1988年9月に登場したそうですが、この塗装好きにはなれませんでした。だって正面から見ると近郊形電車に見えるもの。

モントレー色を見た翌日は「ムーンライト」を撮影しました。
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(快速「ムーンライト」クモハ165-132・古津・1989年8月)
夜行バスに対抗して国鉄が1986(昭和61)年に新宿~新潟の団体夜行列車として企画した「ムーンライト」(EF64+14系)が好評だったので、1987(昭和62)年9月3日から新宿~新潟~村上間の臨時快速「ムーンライト」となり専用塗色の165系が用意されました。1988(昭和63)年3月13日には定期列車化され、165系は色違いで3編成まで揃いました。この165系は第1編成です。
165系は2003(平成15)年に485系に置き換えられるまで活躍しましたが、自分が見たのはこれ1度きりだったりするのですが。

165系には教習車も存在しました。それがクヤ165で1974(昭和49)年にサハシ153-15を改造して登場しました。クヤ165-1は1987(昭和62)年2月3日に廃車となってから大垣電車区で保管された後に佐久間レールパークに移設された同社を1992(平成4)年に見学しました。
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(クヤ165-1・佐久間レールパーク・1992年8月11日)
車内にはCS15主制御器などが設置されて作動状態を学ぶことができたほか、本線走行用の運転台も備えていました。種車は153系でしたので、153系の流れをくんだ最後の車両でもありました。

1997(平成9)年には165系を使用した最初のリバイバル列車、「懐かしの佐渡」が運転されたので仕事の合間に撮影しに行きました。
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(急行「懐かしの佐渡」クハ165-7・1997年12月20日)
最盛期は13両編成で運転されていた「佐渡」でしたがリバイバル列車はモノクラスの6両編成で運転。短編成でしたがヘッドマークがつくと凛々しいですね。

2002(平成14)年の出張の際に、河口湖で見かけた富士急行2000形。そう、元パノラマエクスプレスアルプスのクロ165-3で、2001(平成13)年に譲渡され、「フジサン特急」に使用されました。つまり私鉄特急車になったわけですね。
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(2001・富士急行 河口湖・2002年1月6日)
パノラマエクスプレスアルプスはTscM’sMscMscMs’Tscという3両1ユニットを背中合わせに連結していましたが、富士急行ではそのまま3両編成2本に分離しました。2001は富士吉田(現富士山)向きの展望車で、河口湖、大月向きは元クモロ165-3の2201となっています。
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(2201・富士急行 河口湖・2002年1月6日)
クモロ165時代はこちらを先頭に走ったことってあるのかどうか分かりませんが、ライトが改造されているので全然食指は動きません。まぁ特急表示が珍しくていいかなとは思いましたけど(笑

同じ年に秩父鉄道三峰口駅にある、秩父鉄道車両公園を見に行った際に、秩父鉄道3000系を見ました。3000系は、1992(平成4)年に新前橋電車区の165系3編成を秩父鉄道の急行用に譲渡したものです。クハ3202は元クハ165-86でした。
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(クハ3202・秩父鉄道 三峰口・2002年2月24日)
前面をはじめかなり大がかりな改造が実施されましたが、側面には面影が残っていますね。

JR東日本の165系の終焉が近づくと、たくさんのリバイバル列車が運転されました。「急行ゆけむり」もそのひとつ。
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(急行「急行ゆけむり」クモハ165-118・津久田~岩本・2002年11月10日)
小型ヘッドマーク付は嬉しかったのですが、シールドビームとアンチクライマー付の前面は好きになれなかったです。

また新前橋の165系は2003(平成15)年に大宮工場で開催された「おおみやふれあいフェア」で展示されていました。
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(クハ165-151・大宮工場・2003年5月31日)
そして2003(平成15)年に新前橋の165系は全車廃車となっています。同時期に新潟の165系も引退してJR東日本から165系は消滅しました。しかも保存車がなかったのは不思議です。

2005(平成17)年、また出張の途中で富士急行に立ち寄ってみました。そして2000形「フジサン特急」を撮影。
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(2002・富士急行 三つ峠~寿・2005年10月27日)
2002は元クロ165-4で河口湖・大月方の展望車です。そして最後尾は元クモロ165-4の2202。
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(2202・富士急行 三つ峠~寿・2005年10月27日)
抑速ブレーキをフルに使って坂を下っていきました。

秩父鉄道3000系となっていた165系は老朽化のために2006(平成18)年3月から廃車が始まって11月末で引退しました。最後まで残ったのは試作冷房改造車だった第1編成。
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(クハ3201・秩父鉄道 広瀬川原車庫・2006年12月2日)
制御車のクハ3201は1981年の冬に小出で出会ったクハ165-93。実に15年ぶりに再会。AU12は最後まで健在でした。しかしこの編成も2007(平成19)年1月に廃車解体され、秩父鉄道から165系は姿を消しました。

引退した秩父鉄道3000系のうち、デハ3003のカットボディは国道254号線沿いでラーメン屋となっていましたが、訪問した時は既に廃業。
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(デハ3003・寄居町・2009年5月10日)
もとは試作冷房改造車のクモハ165-93だという話なのですが、屋根にはAU13が載っていました。なお現在は撤去されて残っていません。

佐久間レールパークで保存されていたクヤ165-1でしたが、佐久間レールパーク閉鎖後、リニア・鉄道館には移送されずに現地で解体されてしまいました。
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(クヤ165-1・佐久間レールパーク・2009年6月7日)
ということで、これがクヤ165を見た最後。そして153系車体とTR59台車もこれが見納めでした。

165系で最後まで車籍を残していたサロ165-106は書類上静岡運転所配置となっていましたが、浜松工場で保管されていました。
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(サロ165-106・浜松工場・2009年7月26日)
この日は「新幹線なるほど発見デー」があったのですが、サロ165は展示されず敷地内に留置されていましたが、原形をよく保っていますね。この時JR東海は165系3両編成も美濃太田で保管していたのですが、四方を他車に囲まれていたので屋根しか見ることができませんでした。

2010(平成22)年に三度富士急行に行く機会があったのですが、今回は大月で2000形の並びを見ることができました。左が2002で、右が2201です。
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(2002、2201・富士急行大月・2010年1月26日)
この時は2000形に乗車してMT54サウンドや抑速ブレーキを久しぶりに体感しました。富士急行では小田急20000形RSEの購入を検討しているようで、それが実現すると2000形が廃車されるのではと思われますので、もう一度ぐらい写真を撮りに行こうかなって思います。しかし165系の最後の仕事が地方私鉄とは言え特急とは、面白いものですね。

リニア・鉄道館の開館を翌年に控えた2010(平成22)年の「新幹線なるほど発見デー」にはサロ165-106も展示されてました。
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(サロ165-106・浜松工場・2010年7月25日)
サロ165の一段下降窓は雨水が浸入して車体の腐食を早まらせたこともあり、2段ユニット窓に改造された車両も多いのですが、やはり一段下降窓の方がきれいですね。そして予告通りリニア・鉄道館に搬入。
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(サロ165-106・リニア・鉄道館・2011年3月14日)
展示方法には疑問を感じますが、回送運転台の前照灯が点灯しているのは面白いですね。

そして美濃太田のクモハ165-108もリニア・鉄道館で保存されました。
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(クモハ165-108・リニア・鉄道館・2011年3月14日)
床下がグレーなのがちょっと残念ですが、大目玉の保存は嬉しい限り。それにしてもJR東海が保存しなかったら165系は残っていなかったかもって考えるとぞっとしました。そういえば美濃太田に残された2両はどうなったのかな?

ともあれと付き合いが長い割には写真がそれほど多くなかった165系でしたが、やっぱり「165系は急行で使ってこそ」という気持ちが強かったからなのかも知れません。