急行「あかぎ」は名称を特急「あかぎ」に譲ったため「はるな」に改称されました。

(急行「はるな」クモハ165-35・上野・1982年11月)
急行「草津」は一部がL特急「白根」に格上げされましたが、残りはそのまま。

(急行「草津」クハ165・上野・1982年11月)
同様に急行「ゆけむり」も一部がL特急「谷川」に格上げされましたが残留しました。

(急行「ゆけむり」クモハ165・鶯谷・1982年11月)
東北系統は「なすの」がそのまま残留。

(急行「なすの」クモハ165・日暮里・1982年11月)
これら新前橋車の急行は1985(昭和60)年3月14日の東北・上越新幹線上野開業で185系新特急に統合され、以後新前橋車の定期急行運用は消滅してしまいました。
上越線系統では「とき」は廃止されましたが、「佐渡」「よねやま」は残留しました。

(急行「佐渡」クモハ165-12・日暮里・1982年11月)
しかしサロ165とサハ165が減車されて
上野・直江津←TcM’McTsTcM’McTcM’Mc→長岡・新潟
の10両編成となってしまいましたが。
そんな感じで上越線はまだまだ賑やかでしたので、紅葉撮影に出かけたこともありました。

(急行「よねやま」・クモハ165・水上~湯桧曽・1982年11月)
「佐渡」「よねやま」も上越新幹線上野開業で廃止。これで清水峠を越える165系急行は消滅しました。
165系は臨時列車にも多用されていました。

(クハ165-102・日暮里・1982年)
この車両も試作冷房改造車ですね。
こんな感じで165系がなくなるという印象があまりになかったのですが、今思えば油断もいいところですね(汗
さて、1982(昭和57)年8月から神奈川に引っ越ししていたのですが、自分が住んでいたのは祖父母宅で、両親は引き続き小出に住んでいました。その関係で休みになると小出に帰省していたのですが、その際に石打まで臨時延長していた「ゆけむり」を撮影。

(急行「ゆけむり」・クハ165-27・石打・1983年3月)
この頃は最も長い駅名だった岩原スキー場前を通過していく「よねやま」

(急行「よねやま」・クハ165・岩原スキー場前・1983年3月)
急行が思ったより残留している一方で、1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正では飯田線の80系を165系が置き換えていて、飯田線の旧型国電を見に行った際にはお世話になりました。

(クハ165-13・豊川・1983年4月)
急行用として活躍した165系がローカル線主体の運用に入るようなったのもこの改正からでしたね。
その一方で全廃された153系を置き換えたのも165系。中京地区の快速は117系になりましたが、急行「東海」は大垣の165系が担当し東京にやってくるようになりました。

(急行「東海」クハ165・大船~藤沢・1983年5月)
東京~国府津間は167系「ごてんば」を併結していたので堂々の16両編成だったのは嬉しくもありましたね。

(急行「東海」クハ165-206・大船~藤沢・1983年6月)
でもシールドビームは正直好きではなかったです。
「東海」は1996(平成8)年に373系特急「東海」に置き換えられるまで165系で運転されていました。
1983(昭和58)年の夏も小出に帰省。その際に新潟平野を行ったり来たりしました。まずは直江津方面へ。1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で165系化された「赤倉」。

(急行「赤倉」・クハ165-27・黒井・1983年8月)
キハ58系から165系化されたわけですが、もともと電化区間をディーゼルカーで走り抜いていた方がおかしなわけで、これが正調といえますね。
1988(昭和63)年には「とがくし」「南越後」を「赤倉」に統合しました。「赤倉」1997(平成9)年9月30日で廃止されるまで最後の165系急行となりました。
そして「よねやま」。左側は頸城鉄道の廃線跡があったのでしょうか?

(急行「よねやま」・クモハ165・黒井・1983年8月)
このクモハ165は運転台上の大型箱形通風器が載っています。
この時は新潟にも遠征しました。その際に新津で165系を撮影しました。

(急行「佐渡」クハ165-154・新津・1983年8月)
そして海水浴シーズンの臨時快速にも充当されていた165系を撮影。

(快速「ブルースカイ」クモハ165-132・1983年8月)
このクモハ165にも運転台上の大型箱形通風器が載っています。どうやら他から後期形の転属車があったようですね。
海水浴列車と言えば、熊谷から運転されていた「くじらなみ」が上越線の定番列車でした。

(快速「くじらなみ」クモハ165-25・八色~小出・1983年8月)
当時「くじらなみ」は2往復運転されていましたが、そのうちの1往復はヘッドマーク付でした。

(快速「くじらなみ」クモハ165-65・八色~小出・1983年8月)
この「くじらなみ」は今でも「マリンブルーくじらなみ」として運転されています。もちろん165系ではないですが。
そんな感じで意外とのんきに構えていたら、急行の廃止や特急格上げであっという間に165系の活躍の場が減っていきました。
国鉄時代末期になると165系を改造したジョイフルトレインが登場します。幕張にはお座敷電車「なのはな」が、そして三鷹には展望付の「パノラマエクスプレスアルプス」が登場。
小田急ロマンスカーみたいな姿には驚きましたが、結構好きなデザインでした。

(クロ165-2・高尾・1987年8月)
実は中央東線の165系急行の写真を撮ったことがないという事実に気づいてしまった(汗
見たことは何度もあるのですが。
(続く)