【鉄道温故知新】Part1 鶯谷界隈 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

鉄道写真を撮り始めて30年以上も経つと、車両はもちろん、撮影場所の風景も変わっていたりするもの。鉄道温故知新はそんな風景の変化をただ並べてみようかと思います(笑

その第1回目は鶯谷。なんで鶯谷かというと昨日撮影したばかりだという実に安直な理由です。ちなみに温故知新を撮ろうと思って撮影したわけではないので、レンズの焦点距離や画角などは意識して揃えてはいません。

鶯谷の4番ホームからは東北本線と常磐線の列車を撮影することができたので、東北・上越新幹線開業前後の1982(昭和57)年や、東北・上越新幹線が東京に延伸した1985(昭和60)年、そしてJR東日本が発足した1987(昭和62)年に結構通いました。

まずは定番ポイントから
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順番に1987(昭和62)年4月のJR東日本発足直後に撮影した489系「白山」と2012(平成24)年6月3日に撮影した211系です。いずれも上野駅高架ホームへの線路を走行しています。東北本線は尾久駅の南側にある井堀信号所で高架ホームへ行く外側線と地平ホームへ行く内側線に分岐します。尾久車両センターからの回送線も井堀信号所で合流しますが、内外それぞれの線路に分岐してつながるので、本線列車と出入区列車が併走することも可能です。
ぱっと見た変化で最初に気づくのは、架線柱がトラス形状からポール形状に変更されているということですね。
背景では線路際の古い家屋がビルに建て変わっています。マンションの壁の色が変わっているほか、日暮里に高層ビルが建っているのが分かりますね。
489系は2010(平成22)年3月まで急行「能登」として上野まで来ていましたが、「能登」の臨時化と共に489系は上野から姿を消しました。そして「能登」そのものも2012(平成24)年2月の運転を最後に運転されていません。
211系は1986(昭和61)年には登場していますが、当時はオール普通車の5両編成を2~3本連結して運転されていました。現在は2階建てグリーン車をつないで10~15両編成となっていますので、やはり雰囲気は違います。

こちらは常磐線上り線の列車ですが、1982(昭和57)年8月に撮影したEF80牽引の24系「ゆうづる」とデビューしたてのE657系「フレッシュひたち」です。
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常磐線は鶯谷を通過すると高架ホームと地平ホームに分岐するので、この区間は複線となっています。
当時の寝台特急「ゆうづる」はEF80が牽引することが多くてEF81はあまり見なかった気がします。客車は14系、24系、24系25形が使用されていましたが、電源車は24系24形のカヤ24率が高かった印象があり、写真のように銀帯の24系25形と白帯のカヤ24が組み合わされることが多かったです。

鶯谷は夜行列車を狙うために午前中に行くことが多かったので、下り列車は逆光になるため撮影条件は厳しめでした。
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どちらも常磐線の上り列車の後追いですが、常磐線交直両用電車のパイオニアである401系低運転台車と常磐線交直両用電車の最新型であるE657系です。401系低運転台車は撮影した1983(昭和57)年頃はシールドビーム化されていますが、まだ非冷房でした。
背景のホテルはそのままですが、壁は補修されているようです。でも窓配置は昔のままみたいですね。周辺のビルも壁面を改修したり非常口を増設した程度で基本的な配置はあまり変わっていないようですね。

東北本線の下り線は京浜東北線との高低差があり、また架線柱のワイヤーが邪魔で撮影場所が限られてしまいます。1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正までは上野発5時55分高崎行きという普通客車列車が走っていました。牽引機はEF58かEF62を使用していたようです。そして現在はEF510牽引の「カシオペア」が日、火、金曜日の16時20分に上野駅を出発。今でも客車列車を見ることができますね。
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さて、あまり注目されませんが、ここでは山手線と京浜東北線も撮影することができます。
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JR東日本は発足した1987(昭和62)年当時は、山手線に205系の投入が進行中で、まだ京浜東北線は103系の独壇場でした。両線はATC化されていたで103系先頭車は高運転台で統一されていましたが、中間車に非冷房車や超多段制御試作車、封じ込められた低運転台車などを見ることができました。そんな103系を一掃した205系と209系も今ではE231系とE233系に置き換えられるなど、世代交代のペースが凄いなぁ。
バックは寛永寺があるため、あまり風景は変わっていないと思いきや、付近のホテルやビルが住宅に変わっていたりしています。やっぱり時代は流れているようです。