72系は大きくふたつのグループに分かれます。1944(昭和19)~1950(昭和25)年に登場した63系を修繕して編入したグループと、1952(昭和27)~1958(昭和33)年に72系として新製されたグループです。63系グループは、モハ63→モハ73→クモハ73となった制御電動車と中間車のサハ78が製造され、72系は中間電動車のモハ72と制御車のクハ79が製造されました。
そんな72系ですが、通勤電車だった故に首都圏からの撤退も早く、かろうじて青梅線と南武線、鶴見線、そして横浜線で乗車した経験はあるのですが、当時はあまり魅力を感じなかったのかほとんど写真を撮っていませんでした。
[1979(昭和54)年]
そのようなわけで自分が撮影した72系の写真はごくわずかしかありません。そんな数少ない写真が、横浜線で撮影したクモハ73とクハ79です。ただ偶然撮影しただけで車番も記録していません。
クモハ73は1962(昭和37)年以降に近代化改造された車両です。

(原町田・1979年1月)
台枠と車体骨組み以外は全て解体して全金属の車体を組み立てたもので、高運転台構造になっています。この車両は行き先方向幕が装備されていないので第1次改造車のグループです。
クハ79は1956(昭和31)年度に製造されたグループで、前面窓が傾斜し、前照灯を埋め込んでいます。

(原町田・1979年1月)
私が写真を撮った唯一の前照灯埋め込みスタイルのクハ79です。
72系と言えば、当時はマヤ34をサンドウィッチして牽引していたクモハ73が有名でした。

(豊田電車区・1979年)
このクモハ73は3段窓で原形に近いスタイル。ATC対応のクモヤ143が登場するまで使用されていました。
72系は様々な事業用車の種車になりましたが、クモユニ74もそのひとつ。

(横浜駅・1979年)
1962(昭和37)~1965(昭和40)年に改造された0番代のうち、000 ~011はデカ目でした。当時は113系湘南電車の沼津側に連結されて最大16両編成で運転していました。
[1980(昭和55)年]
クモユニ74と同じように72系を種車とした荷物電車としてクモニ83が存在しました。0番代は1967(昭和42)年に上越線向けに登場しました。

(八色~小出・1980年)
上越線のクモニ83は4両編成を組んだ荷物専用列車も1往復運転されていました。先頭に立つ車両はパンタグラフ2基搭載の000~004のグループですが、パンタグラフを1基撤去していてランボードだけ残っています。
[1981(昭和56)年]
上越線の主役は115系でしたので、連結するクモニ83も115系の抑速ブレーキを制御することが可能でした。

(小出・1981年)
このクモニ83もパンタグラフ撤去車ですね。
1981(昭和56)年の夏休みは身延線に戦前形を見に行ったのですが、その時に柚木から入山瀬まで乗車したのが62系でした。

(入山瀬・1981年8月)
写真はクハ66301ですが、まるで115系300番代みたいな形状をしています。62系は72系の台枠を利用して115系並みの車体を新造したアコモデーション改善車で、4両編成3本が改造されました。
なおクハ66形300番代とモハ62形500番代は72系が種車となっています
62系は115系投入後も1984(昭和59)年まで運用に就いていました。
[1982(昭和57)年]
このころは東北・上越新幹線開業を目前に上野口の列車を追いかける日々が続いていました。そんな上野駅には115系やクモユ141と共にクモニ83もやって来ていました。

(上野・1982年)
クモニ83804は中央線向けに改造した低屋根車のうち大井工場で改造した800~805の一員で、雨樋の高さを115系に合わせています。このグループは一部が上越線に転じたものです。
もちろん中央線で本来の運用に就くクモニ83形800番代もいましたよ。

(八王子・1982年)
たしかに雨樋の高さが115系と一致していますね。中央本線にはクモユニ82もいましたが、見たことはありません。
房総各線の新聞輸送のためのクモユニ74も当時の名物でした。写真はクモユニ74012です。

(両国・1982年8月)
そしてこちらがクモユニ74013。クモユニ74は千葉まで4両編成で走り、千葉で分割して房総各線の普通電車に連結されていました。

(両国・1982年8月)
クモユニ74012~014はシールドビーム装備で登場したグループでした。
クモユニ74が入線する前の房総半島にはクモハユ74が3両存在しました。

(大船工場・1982年)
クモハユ74は1969(昭和44)年の房総西線電化に合わせてモハ72を改造した両運転台の郵便合造車ですが、1978(昭和53)年に大船電車区に転出し、事業用車代用や、訓練運転に使用されていたようです。たしかに東海道線ですれ違ったことがありました。
[1984(昭和59)年]
この年は貨物列車の大幅な合理化や荷物列車の廃止など、かなりショッキングなダイヤ改正があった年です。そんななか浜松機関区で各地の機関車の展示を中心とした一般公開が実施されましたが、その会場に62系クハ66005の編成も展示されていました。

(浜松機関区・1984年7月)
62系0番代は旧モハ63系をベースとした改造車でした。62系は他の旧型国電と併結運転をすることは可能だったそうです。
浜松詣での1ヶ月後の九州旅行では広島にも立ち寄りましたが、広島駅のホームで可部線用の72系に出会いました。
クモハ73169はモハ63を体質改善改造した車両です。

(広島駅・1984年8月)
やっとまともな、72系の写真が出てきましたね(笑
それはさておき、クモハ73169は幡生工場でアルミサッシ2段窓にするなどの簡易工事が実施されていますが、比較的モハ63系の面影を残していると思います。
クハ79306は72系の制御車として一番最初に登場したグループに属します。

(広島駅・1984年8月)
72系登場当初は奇数側先頭車に旧モハ63のモハ73を使用したため、第1陣は偶数向きのみが製造されました。
前面窓はHゴム化されてちょっと印象が変わってしまっていますね。運転席窓下のある丸いものは大阪鉄道管理局オリジナルの通風口です。可部線の転用に伴って便所が取り付けられています。
可部線用の72系もこの頃は105系の投入が始まっていて、程なくして引退しました。
[2002(平成14)年]
62系と同じように72系の車体を新性能車並みに作り替えたのが72系970番代で、1972(昭和47)年に鶴見線用にモハ72970を試作した後、1974(昭和49)年仙石線用にモハ72971~980 、クハ79601~610が改造されました。
車体は103系高運転台車に準じていますが、台枠の関係で台車中心間距離などは異なります。また半自動ドアを装備し非冷房でした。また仙石線用は他の72系との連結は不可能でした。
そんな72系970番代は103系に置き換えられた後、103系の電装品と動力台車(DT33)、101系の付随台車(DT21T)を使用して103系3000番代に変身しました。
そして1985(昭和60)年の川越線電化用に3両編5本が登場。余ったモハ72形970番代は1986(昭和61)年に青梅線用のサハ103形3000番代となりましたが、最終的には103系3000番代は再び4両編成となり、冷房装置も搭載されました。
そんな103系3000番代に出会ったのはまったくの偶然でした。

(高麗川・2002年10月27日)
クハ103-3005は元クハ79601。さらに元を正すとクハ79435となります。スタイルは103系ATC車に酷似していますが、仙石線時代のタブレット授受時の防護板が残っています。
[2004(平成16)年]
103系3000番代がそろそろ引退するという話を聞いて、川越線、八高線に撮影に出かけました。
クモハ102-3005はクハ79602を電装した車両です。原形はクハ79378。

(的場~笠幡・2004年1月4日)
クハ103-3005同様タブレット保護板が残っていますが、さらに前面には後部標識灯掛けが残っています。これは仙石線時代に郡山工場へ機関車牽引で入場する際に標識を取り付けるためのものです。
クハ103—3002も標識灯掛けが残っていますが、タブレット保護板は撤去されていました。

(西川越~的場・2004年1月4日)
クハ79349がクハ79603となり、クハ103-3002に改造されました。
クモハ102-3003はクハ79451を改造したクハ79605を再改造。

(西川越~的場・2004年1月4日)
クハ103-3003は元クハ79605でクハ79451のアコモデーション改善車です。

(西川越~的場・2004年1月4日)
クモハ102-3002はクハ79374のアコモデーション改善車クハ79606を103系化。

(的場~笠幡・2004年1月4日)
103系3000番代は72系970番代時代の半自動ドア用取っ手がそのまま残っていました。また側面行き先方向幕は先頭車にのみ設置されていました。
数奇な運命を辿った103系3000番代は2005(平成17)年に引退。
[2005(平成17)年]
72系は様々な事業用車に改造されましたが、モハ72274はクモニ83505に改造された後、1987(昭和62)年に鉄道総研のすべり粘着試験車クヤ497に再改造されました。

(鉄道総合技術研究所・2005年4月9日)
クヤ497は車輪とレールの間の摩擦係数を測定する試験車で、片方の台車はすべり粘着試験用のTR910を装着していました。また電車に連結した際に制御車として使用可能としたほか、発電機を搭載して非電化区間でも使用可能という万能車でした。1996(平成8)年にJR東日本の車籍を抹消後、鉄道総研で保管されていましたが、現在は解体されて存在しません。
[2008(平成20)年]
可部線を引退したクモハ73383は先頭部だけのカットボディとなって、個人に譲渡されていて、それを広島へ出張に行った折に見てきました。

(広島市佐伯区内・2008年3月3日)
しかしご覧の様な荒廃状態となっています。この写真を撮影してから既に4年経過していますので、現在はさらに荒廃しているのではないのでしょうか?
毎年7月にはJR東海浜松工場を一般公開する「新幹線なるほど発見デー」が開催されていますが、在来線の展示も若干あり、牽引車のクモヤ90005が公開されていました。

(浜松工場・2008年7月26日)
クモヤ90005は旧63系改造車のモハ72258を牽引車に改造したものです。新性能電車を牽引するため、ブレーキの新旧読み替え装置を搭載しています。
[2009(平成21)年]
クモヤ90005は2009(平成21)年の「新幹線なるほど発見デー」でも展示されていました。

(浜松工場・2008年7月26日)
しかしクモヤ90としての姿はこれが見納めとなりました。
このほかにもJR東日本がクモヤ90801などを保管していたのですが現在は解体されてしまいました。
[2011(平成23)年]
そしてJR東海が保管していたクモヤ90005は、リニア・鉄道館への搬入を前にモハ63638に復元されました。

(リニア・鉄道館・2011年11月7日)
当然ながらモハ63を見たことはありませんが、前面上部の通風口などが見事に再現されています。しかしこの電車の復元に当たってクモハ12054が部品を提供して廃車になったと聞いていて、ちょっと残念。
それからリニア・鉄道館の展示方法にはちょっと疑問を感じています。このモハ63638などは狭い空間に並列に並べられていて、とても見学しにくいのです。このレイアウトはどうにかならなかったのかな。
ともあれ、個人的には馴染みがあるようでなかったゲタ電72系でした。