公辞苑(ハムじえん)【第二版】 -14ページ目

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

ちょこちょこと国内旅行をして、そのことをアップしていますが・・・

あっちこっちに書き散らして、系統だった書き方をしていませんでしたので、それを旅毎に纏めたのが「公紀行」です。

でも、最近旅をしてなく・・・このブログ以前に行った場所の画像がありましたので、「公紀行」過去編としてご紹介しようと思います。

 

 

 

 

今回は、2012年に数度訪れた栃木県佐野市です。

実際に回った順番は忘れてしまいましたので、順不同のご紹介になります。

 

 

惣宗寺・・・いわゆる佐野厄除け大師です。

もともとは藤原秀郷が別な場所に建て、その後に現在の地に移ったようです。

足尾銅山事件で有名な田中正造のお墓もあります。

 

 

その田中正造旧宅が市内にあり、史跡として保存されていました。

 

 

関東屈指の山城である唐沢山城

佐野氏の居城で、あの上杉謙信の攻撃を何度も退けた名城です。

本丸跡には唐沢山神社があり、築城主であり 佐野氏の祖と言われる藤原秀郷が祀られています。

行った日は天気がイマイチでしたが、城跡からは関東平野が一望できます。

 

 

佐野城跡・・・佐野駅のすぐ近くで、現在は公園になっています。

もともと惣宗寺があった場所がここらしく、築城のため移されたそうです。

 

 

名水百選の一つである出流原(いずるはら)弁天池

雨降り直後でしたが、水は濁っておらず、清く・・・神々しさを感じました。

すぐ近くには磯山弁財天があり、社殿の上からの眺めが良かったです。

 

 

登ってませんが、三毳山(みかもやま)は万葉集で歌を詠まれた山らしいです。

 

 

古いお寺で東光寺

最澄が自分で彫った薬師如来像を広智上人に託して関東に送ったところ、牛車の車軸が折れて動かなくなり、ここにお寺を建てたそうです。

 

 

こちらの大庵寺は、真田昌幸・信繁 親子が泊ったという伝説のあるお寺です。

関ヶ原合戦直前で、真田昌幸・信幸・信繁 親子が東軍・西軍に分かれた「犬伏の別れ」は、この近くらしいです。

 

 

佐野市街には、古くて歴史のありそうな建物があり、それも見ものでした。

上の味噌まんじゅうのお店では、味噌プリンというものも売られていまして・・・当時、ダイアモンド☆ユカイさんがTVで絶賛してました。