<覇道の男>歌川広重「名所江戸百景」編 (1) | 公辞苑(ハムじえん)【第2.1版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。

 

名所江戸百景

浮世絵師 歌川広重の晩年の作品です(一部、2代目広重の補筆あり)

目録1枚と、119枚の図絵から成る。

その作品で紹介されている先を回ってみようかと思います。

 

 

 

東京もしくは近郊に住むようになってから久しいですが・・・

休日に訪問する先もマンネリ化してきまして・・・

どこか新しい場所を訪れようと思っても、TV番組やネットで紹介されているところは混んでるし・・・

 

そこで、歌川広重の「名所江戸百景」で取り上げられた先を巡ってみたいと思います。

相変わらず名所の場所であるところもあるであろうし・・・

面影がなくなっているところもあるであろうし・・・

ちょっと楽しみです。

 

 

 

まず初回は、旧東京音楽学校奏楽堂のコンサート前・・・

上野公園・公園周辺のスポットを訪れてみました。

 

 

 

まず、コチラ・・・『上野山した』という作品。

下谷廣小路から寛永寺の門前まで続く火除地が「山した」と呼ばれていたようです。

 

かつての寛永寺の境内は大きく、上野公園のほとんども寛永寺境内だったそうです。

その上野公園は台地にあり、台地の下なので「山した」ということなんでしょうね。

この階段を上がると、西郷隆盛像という場所ですが・・・

この辺りに寛永寺の総門(黒門)があったようで、階段の左側のモニュメントが門跡のようです。

 

 

公園の南側の入り口を撮ったものですが、この入り口のすぐ先に先程の黒門モニュメントがありますので、この辺りが「山した」に含まれるようです。

ちょうど浮世絵に描かれたあたりに当たるようです。

なお、右側のビル群の裏手にアメ横があります。

 

 

 

 

次に『上野清水堂不忍ノ池』。

描かれている清水観音堂は寛永8年(1631年)に天海が京都の清水寺に倣って、上野の摺鉢山に建てたのが始まりで、元禄7年(1694年)に現在地に移築されたそうです。
 
上野の山に現存する建物のうち、創建年時の明確な最古の建造物で、安永年間に修理されただけで、安政の大地震、上野戦争、関東大震災、東京大空襲からも難を逃れているそうです。

 

浮世絵の中に、枝が円状に弧を描いた松が見られましたが、そちらも再現されています。

(分かりにくいかもしれませんが、下の画像の中央あたりに円状の枝が見えます)

 

浮世絵では不忍池も描かれていますが・・・

上の画像で行くと、池は撮影者の背面。

がんばって、浮世絵に近い形で撮影を試みましたが・・・

アングル的には、池方面に向けて撮るとこはできましたが・・・

木が茂り過ぎて、池が見えず・・・

せっかくの円状枝の松は、掲示板の影に隠れて・・・

上手い事行きませんね・・・(´・ω・`)

 

 

 

ちなみに、先程の松・・・

「名所江戸百景」で『上野山内月のまつ』という作品で松自体が取り扱われています。

 

 

こちらはバッチリ!

樹々の隙間からほんのちょっとだけ池が見え・・・

池の対岸の街並みも見え・・・

 

なお、浮世絵に描かれた松は、明治初期の嵐で折れており・・・

現在のものは再現物になるようです。

 

 

 

 

<「名所江戸百景」訪問先> 番号は出版の順番

(6).上野清水堂不忍ノ池

(85).上野山内月のまつ

(116).上野山した