花の生涯・・・
1963年4月~12月まで放送された大河ドラマ第1作。
当時は「大河ドラマ」と言わず、「大型時代劇」と称した。
原作は舟橋聖一の歴史小説『花の生涯』。
幕末の大老・彦根藩主 井伊直弼を主人公とした作品。
(NHK『花の生涯』 放送は白黒)
4月18日(土)~21日(月)、滋賀県に旅行に行ってきました。
二日目までのことを記事にしましたので、三日目の記事です。
三日目は、彦根に行ってきました。
駅前には徳川四天王の一人であり、初代彦根藩主の井伊直政の像が・・・
と言うことで、三日目の目的は彦根城です。
ちなみに、井伊直政は関ヶ原の合戦後に近江国の佐和山に転封、佐和山城に入城して佐和山藩を立藩。
ただ、直政は石田三成の居城であった佐和山城を嫌い、新たに築城を計画するも、着手前に死去。
その後に後を継いだ直継の時に、彦根城が築かれたそうです。
更に、ちなみにですが・・・
佐和山城と彦根城は遠くない位置にあります。
そんな彦根の駅前には、井伊の彦根を謳った「ひこね丼」と・・・佐和山の石田三成を謳った「三成めし」を出すお店がありました。
(食べてませんが・・・)
さて、その彦根駅から、西にある彦根城へ向かって10分弱歩きますと・・・
まずは、滋賀縣護國神社に着きます。
大きなお城や城跡の近くには護国神社が多いですよね。
この護国神社は、外堀と中堀の間の位置に当たるようです。
(彦根城には、外堀・中堀・内堀の三重の堀があったそうです)
神社の境内を出ますと、中堀がありましたが・・・
そこには「いろは松」と呼ばれる松並木がありました。
かつて47本の松が植えられ、いろは47文字になぞらえ、いろは松との名が付いたようです。
中堀に沿って歩いていきますと、いろは松とは道を挟んで向こう側に井伊大老歌碑というものがありました。
井伊大老・・・井伊直弼による和歌に関する碑のようです。
あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな
琵琶湖の磯うつ波が何度も打ち砕けて繰り返しているように、日本の世のことを願って心を砕いてきたので悔いはない・・・そんな歌のようです。
いろは松は、彦根城二の丸 佐和口に向かって続きます。
中堀は佐和口の手前で、直角に折れます。
この直角に折れた中堀に沿った小道を歩いていきますと・・・・
埋木舎という屋敷跡があります。
中も公開されているようですが・・・
行った日は休館日でした・・・(´・ω・`)
埋木舎は、部屋住み時代の井伊直弼が住んでいた屋敷です。
井伊直弼は14代藩主 直中の十四男として生まれてますが、父の隠居後に生まれた庶子だったようです。
17歳で父と死別し、わずかな捨扶持をもらい受けて、ここの屋敷に32歳まで住んだようです。
「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」との和歌を詠み、この屋敷を「埋木舎」と名付けたそうです。
なお、大河ドラマ第一作『花の生涯』の前半は、この埋木舎が舞台だったようです。
15代藩主 直亮(直中三男)の養嗣子 直元(直中十一男)が死去したため、直弼は直亮の養子という形で彦根藩の後継者へ・・・
直亮の死後に直弼は16代藩主となっています。
さて、井伊直弼は置きまして・・・
彦根城の主要部分へ向かって行こうと思います。
【次回へ つづく】
<オマケ>
井伊直弼は置きまして・・・と言いましたが・・・
井伊直弼の生誕地の碑が、中堀の内側にある玄宮楽々園(藩主私邸と庭園)の近くにあります。
玄宮楽々園は、後日に記事にします。
また、玄宮楽々園と隣接する公園に、井伊直弼の像が設置られています。
















