勝家・・・
戦国大名・織田氏の宿老で、織田信長の天下統一事業に従事した武将・・・柴田勝家を指す。
初名権六、のち修理亮と称す。
織田信長の没後は、羽柴秀吉と争い、賤ケ岳の戦いで敗れる。
賤ケ岳の戦いの後、急追され、北庄城で自刃。
前回の記事にも書きましたが・・・
海音寺潮五郎先生の『武将列伝』という作品を読み終えました。
源平合戦~明治維新の武将 数十名についての史伝を記載したものです。
冒頭に書いた「勝家」こと柴田勝家については、この『武将列伝』の中では記載対象として直接取り扱われてはおらず・・・
記載対象となった前田利家などの章で触れられているくらいです。
ところが・・・
幕末~明治の武将として、西郷隆盛と勝海舟の2名のみが取り扱われていますが・・・
勝海舟の史伝のところに、「勝家」という単語が頻繁に出てきて、ちょっと戸惑ってしまいました。
ただ・・・
この場合の「勝家」は「かついえ」ではなく、「かつけ」で・・・
勝さん一族の家・・・家系と言った意味です。
勝海舟の曽祖父は、越後小地谷出身の盲人で、江戸に出て按摩をしながら高利貸しとなり、その富で御家人「男谷」家の下部を買い、長男を幕臣にしており・・・
この「男谷」家の中から、勝海舟の父である小吉が旗本の「勝」家に養子となったそうで・・・
こんな経緯から、やたらと「『勝』家」という単語が出てくるわけです。
でも、「勝家」と言えば、世間一般的には戦国武将の柴田勝家を思い出すことが多いでしょう・・・
私も、そうで・・・反射的に柴田勝家を思い出してしまい・・・幕末の話を読んでるのに、戦国時代を一瞬思い出してしまう・・・妙な気軍になるものです。


