善光寺・・・
長野市長野元善町にある寺院、特定の宗派に属していない。
仏教伝来とともに渡ってきた日本最古の仏像とされる「一光三尊阿弥陀来」が本尊。
皇極天皇元年(642年)信濃国麻績里の本多(田)善光が堂宇を創建し、一光三尊の阿彌陀仏を安置したのが始まりと伝えられる。
戦国時代には本尊が各地を転々とし、慶長3年(1598年)に信濃へ戻っている。
(善光寺;長野市長野元善町)
10月19日(日)~21日(火)に甲府市に泊り、周辺を観光してまいりました。
二日目・・・まずは、笛吹市にある甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡を見に行き・・・
その後、再び甲府に戻り、レンタサイクルを借りまして、善光寺へ向かいました。
「善光寺」と言いましても、長野にある善光寺ではなく、甲府にある善光寺でして・・・
一般的に甲斐善光寺と呼ばれるお寺です。
(甲州善光寺、甲府善光寺とも)
武田信玄と上杉謙信の戦いは、川中島の戦いとして有名ですが・・・
川中島の近くの信濃善光寺の焼失を恐れ、武田信玄がその本尊を信濃佐久郡祢津に遷し、その後 永禄元年(1558年)に甲斐に遷して、伽藍を造営開始されたのが甲斐善光寺の始まりと言われているそうです。
なお、甲斐善光寺の造営は長期に渡り、本尊は仮堂に収められ、本堂は永禄8年(1565年)に本完成するも、元亀年間(1570~1573年)に至るまで造営は続いたそうです。
なお、善光寺本尊だった阿弥陀如来像は、武田氏の滅亡後、織田氏の美濃や尾張などへ転々と遷座され・・・
豊臣秀吉の時代には、地震で損壊した方広寺(京都にあった秀吉開基の寺)の大仏の代わりに遷されたそうです。
慶長3年(1598年)に、秀吉が病にかかり、その原因がその阿弥陀如来像と噂され、信濃善光寺に戻されることになったそうです。
前置きは、さて置き・・・現在の甲斐善光寺は・・・
浄土宗に帰依していた徳川家の庇護を受け、現在は浄土宗のお寺のようです。
現在の本尊は銅造阿弥陀如来像で、秘仏である信濃善光寺の本尊の前立仏として造立したものらしいです。
現在の金堂は寛政8年(1796年)に完成したものらしいです。
国の重要文化財に指定されています。
山門は明和4年(1767年)の上棟と言われ、これも国の重要文化財に指定されています。
なお、無料入場できる宝物館があり、そこで展示されているものの中に源頼朝の木像がありました(宝物館内は撮影NG、下は拾ってきた画像です)。
現在の歴史の教科書には、源頼朝の紹介としてこの像がよく使われているようで・・・最近の歴史雑誌などでも、この像がよく使用されています。
頼朝の死後 早い時期に北条政子の命により作られた像で、頼朝の風貌をよく表しているのではないかと考えられているそうです。
この像が見れて、ちょっとだけテンションが上がってしまいました。





