まいない・・・
「賄」もしくは「賂」。
神への捧げもの。
礼として人にものを贈ること、もしくはその贈物。
便宜をはかってもらうために贈る金品、賄賂(わいろ)。
近年は、先駆的な政治家として評価され、イメージが変わってきている田沼意次・・・
(田沼意次 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』より)
ただ・・・以前からのように、賄賂政治家とのイメージが拭われていないこともあるかと思います。
『古今百代草叢書』の中に、下のような絵・・・「まいないつぶれ」(左)と「まいない鳥」(右)というものが描かれているそうです。
「まいないつぶれ」はマイマイツブリ(カタツムリのこと)をもじったもので、「…丸の内にはい廻る、皆人銭だせ、金だせ…」と説明があるそうで・・・
「まいない鳥」には、「…常に金銀を喰う事おびただし、恵少なき時はけんもほろろにして寄りつかず…」との説明があるそうです。
かつて、この「まいないつぶれ」と「まいない鳥」は田沼意次のことを指してると言われていたそうですが・・・
『古今百代草叢書』は田沼意次の死後50年のものであり・・・
「まいないつぶれ」の殻が、田沼家の家紋 七曜星ではなく、島津家の家紋 丸に十の字になっていることから、徳川家斉の岳父として権勢をふるっていた島津重豪を指したものではないかとの指摘があり・・・
現在、「まいないつぶれ」には「田沼意次ではなく、島津重豪を指すとの説あり」のような説明が入ることが多くなっているようです。
ただ、ネットで調べたところ・・・
「まいないつぶれ」の触角が、武鑑(大名家や武家の名鑑)に掲載されている田沼意次の槍ではないかとの指摘もあり・・・
その説によりますと・・・
『古今百代草叢書』の「まいないつぶれ」は、やはり田沼意次のことを指しており、背中の島津家の家紋のようなものは田沼の「田」の字をディフォルメしたものではないのかとのことでした。
でも、槍の指摘はその通りだと思いますが・・・
島津家家紋っぽいものが「田」のディフォルメという説は、ちょっと無理があるような気がします。
「田」をディフォルメするなら、武鑑にも載っているこのマークを使用すれば良いかと思いますし・・・
当時の人がパッと見た時に、島津紋(丸に十の字)だと認識したと思うんですよね。
更にネットで調べてみますと・・・
田沼時代に当たる頃に、『続淡海(続談海)』という本があったそうで、そこにも「まいない鳥」と「まいないつぶれ」が描かれたようです。
そこで描かれていたものが、こちららしいです。
そう考えると、田沼時代から「まいない鳥」と「まいないつぶれ」があったので、やはり田沼意次のことを揶揄した絵とも思われるのですが・・・
でも、こちらの「まいないつぶれ」では、殻が家紋のようになってませんし・・・触角も田沼意次の槍になってません。
田沼意次を連想させる印が見当たらないんですよね。
実際に、田沼意次を揶揄する絵として、こんな怪物の絵があます。
眼が七曜星、口が「田」、腕が武鑑にも描かれていた「廿」みたいなマーク、鼻が武鑑に載っていた槍・・・等々。
そうしますと、田沼時代の『続淡海(続談海)』の「まいない鳥」「まいないつぶれ」は、田沼意次そのものではなく・・・
田沼時代の武士(特に幕政などに関わる者)全般を指した絵のように思えます。
一方、田沼意次死後50年の『古今百代草叢書』の「まいないつぶれ」「まいない鳥」は、誰かを揶揄するために『続淡海(続談海)』の絵をカスタマイズしたように思え・・・
それが、「まいないつぶれ」の田沼意次の槍、島津紋のように思われます。
では、これが田沼意次のことを指すのか、島津重豪を指すのか・・・が謎でしたが・・・
『古今百代草叢書』の「まいない鳥」を見ますと・・・
十の字になっており、これも元々の島津紋のように見えるんですよね・・・
『続淡海(続談海)』の方では、ひらひら靡いていたものをやめて、敢えて十の字にしているような気もします。
『古今百代草叢書』が田沼意次死後の本であり、島津重豪の時代に近いものであり・・・
島津家の家紋を連想させる「まいないつぶれ」「まいない鳥」・・・
『古今百代草叢書』に掲載されているものは、やはり島津重豪を指しているのではないでしょうか?
「まいないつぶれ」の触角に、故人の田沼意次の槍を使用したのは、島津重豪批判をカモフラージュするために付け加えたもののように思いました。













