虞附・・・
埋葬を終えて、その霊をまつる祭祀。
ついつい、これの流れで・・・
「虞附(ぐふ)」という言葉は、なかなか目にしないと思いますが・・・
実例として、南北朝の争乱を描いた作品『太平記』に出てくるそうです。
それは北朝初代天皇とされる光厳天皇の葬儀のシーンで・・・
あはれ、僊院芝山の晏駕ならましかば、百官涙を滴でて葬車の御跡に随ひ、一人悲しみを呑んで虞附の御祭をこそ営せ給ふべきに、御事とだに知る人なき山中の御葬礼なれば、鳥啼て挽歌の響を添へ、松咽んで哀慟の声を助くるばかりなり。
(岩波文庫『太平記』(六)第三十九巻12 光厳院禅定法皇崩御の事:西源院本が底本)
(意味)
おいたわしくも、仙洞御所や宮中での崩御であられたならば、多くの役人が涙を流し、葬車の後について、帝が悲しみに堪えて埋葬後の祭祀をとり行われるはずだが、こういうことだと知る人もない山中の御葬礼なので、鳥が鳴いて葬礼の歌に声を添え、松が風に鳴って慟哭を補うばかりである。
持明院統であり、北朝初代天皇 光厳天皇については、波乱の人生でして・・・
鎌倉時代末期に大覚寺統の後醍醐天皇の皇太子となり、後醍醐天皇の討幕失敗により、幕府の推戴により即位・・・
しかし、鎌倉幕府滅亡により後醍醐天皇が戻ると、 光厳天皇は廃され・・・
後醍醐天皇方を離反した尊氏に対し院宣を与え、建武の新政が崩壊すると、治天の君に返り咲き、院政を実施・・・
足利将軍家の内訌である観応の擾乱が起こると、北朝は一時的に廃止され、南朝によって光厳上皇は大和国の山奥に拉致され幽閉・・・
幽閉中に出家し禅僧になったそうで、その後に帰京できたものの、禅僧として余生を送ったようです。

