【か】加藤清正(かとうきよまさ) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

加藤清正(1562~1611)・・・

安土桃山・江戸初期の武将、肥後国熊本藩初代藩主。

尾張国の人で、幼名 虎之助。

賤ヶ岳七本槍の一人として数えられ、豊臣秀吉のもと多くの戦功をあげ、肥後北半国の大名となる。

文祿・慶長の役では、先がけとなり、蔚山籠城などで勇名を馳せる。

関ヶ原の戦いでは徳川方につき肥後一国を受領。

豊臣家の安泰をも図り、徳川家康と豊臣秀頼の二条城会見を成功させるが、その直後 熊本への帰国途中の船内で発病し、死去。

(熊本城 御幸橋南詰の加藤清正 像)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年のゴールデンウィークは、ほとんど遠出をせず・・・

一番遠いところでも、三鷹に行ったくらいで・・・あとは大田区の蒲田と池上に行ったくらいです。

三鷹については すでに記事にしましたので、記事にし忘れた大田区の池上の方を記事にしたいと思います。

 

まぁ、現在となっては、プチ遠出先ですが・・・

数年前までは池上から遠くないところに住んでましたので、あまり特別感のないところですが・・・。

 

 

 

池上と言えば・・・

日蓮宗の大本山である池上本門寺が有名で、そちらへ行ってきました。

日蓮は武蔵国池上郷の池上宗仲の館で入滅、宗仲は館やその周辺の土地を寺に寄進し寺領とし、それが池上本門寺の基礎となっています。

そんなこともあって、日蓮入滅の霊場として栄えているお寺です。

 

 

 

私は日蓮宗ではないので、日蓮さんを拝みに行ったわけではなく・・・

境内にある清正公堂というお堂を見に行った次第です。

その名の通り加藤清正を祀ったお堂です。

もともとは文政4年(1821)年に建立され、昭和20年(1945年)の空襲により消失、昭和27年に再建されるも、経年による傷みにより平成11年(1999年)に解体・・・

加藤清正生誕460年を記念し、令和3年(2021年)から再建工事が進められ、令和6年6月19日に落慶法要が行われたそうです。

 

実は・・・

池上近くに住んでいた時に、わずかなんですが、再建工事に寄付しておりまして・・・

完成後の姿を見てなかったものですから、訪問した次第です。

 

 

 

清正と本門寺の関係ですが・・・

清正が熱心な日蓮宗信者であることは有名かと思います。

 

 

総門から仁王門へ続く石段・・・

此経難持坂の九十六段の石段坂は、慶長年間に清正が寄進したと伝えられているものです。

 

 

また、境内の片隅に加藤清正供養塔がありますが・・・

これは、清正の娘で 紀伊国和歌山藩主徳川頼宣の夫人である瑤林院が、慶安2年(1649年)に父 清正 供 養のために造立したものらしいです。

 

 

・・・こういった清正関連のものが境内にあります。

 

 

 

天気も良く、良い訪問となりました。

 

 

 

 

 

 

 

<オカケ>

天気も良く、良い訪問となりました・・・という訳でもありませんでした・・・

(´・ω・`)・・・

 

 

この日は、普段は非公開の庭園・・・松濤園が公開されていまして・・・

それを知ったので、庭園の方へ向かったのですが・・・

受付けが14:30までだったようで、受付に着いたのが14:45頃・・・

 

池上に行く前に蒲田で、甘納豆屋さんに向かったのが失敗でした。

しかその日の甘納豆屋さんはお休みで・・・ここで30分程度の時間をロスしてしまい・・・。

 

 

また、池上駅から本門寺の間にある呑川に飾られた手作り鯉幟を楽しむため、10分程度たたずんでしまいましたし・・・。

 

 

最初から本門寺に向かっていれば、庭園見れたな・・・

(´・ω・`)・・・。