<その時歴史は動いていた>昭和天皇崩御 | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

現在、五十有余歳・・・

五十にして天命を知る歳から数年・・

いろいろ経験してきまして、その中には歴史的な瞬間もあったわけです。

そんな歴史的な瞬間、何をしていたかを綴ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今回は昭和の日ということで・・・

 

あなたもスタンプをGETしよう

 

昭和天皇崩御について、当時覚えていること・・・思ったことを綴ろうと思います。

昭和64年(1989年)1月7日のことで、当時 私は高校3年の時でした。

 

DSC_1142.JPG

武藏野陵(むさしののみささぎ);昭和天皇陵 2014年

 

 

現在のところ、きちんとした記録の残る歴代天皇で昭和天皇は2番目に長命であったこともあり(最長は現在の上皇様)、その晩年は病的症状、体調不良などが報じられ・・・

調べてみますと、亡くなられる前年の昭和63年(1988年)9月19日に救急車が出動、緊急輸血・・・以降は一進一退の状態になっていたようです。

 

TVでは、はっきりとした病名などは報道されていなかったと思います。

当時は、癌のような病気は本人に告知されない時代でだったと思います。

でも、TVのニュースからかなり重体であることはひしひしと分かり・・・

いつの頃か、ニュースで昭和天皇の血圧や脈拍がどうだった・・・という報道が毎日報じられてました。

 

 

昭和63年12月頃から かなりの重体であることが感じられ・・・

世間的には、「お正月までに持たないのでは・・・」・・・そんな雰囲気にありました。

 

年末も、毎日のニュースで昭和天皇の状態が報じられるものの・・・

具体的な病名報道はないままで・・・

そんなこともあり、勝手なイメージですが・・・意識がなく、お体に多くのチューブなどが繋がれ、ひたすら延命処置が行われている・・・そんなイメージを抱いてました。

 

 

実際には年も越し・・・

世間的には「今年のお正月も何とか普通に過ごせたね」・・・そんな雰囲気だった矢先・・・

昭和64年1月7日に、崩御との報道。

 

これを聞いて思ったのが・・・・

国民が無事に正月を過ごせるように、無理矢理に必要以上の延命をさせられていたのでは?・・・ということでした。

 

昭和天皇の戦争責任を問う声もTVなどで耳にしていましたが・・・

高校生だった自分は、軍に振り回されて戦争に突入してしまったと思っており・・・

最期も、国民のお正月のために延命・・・死に際を振り回され・・・

何かに振り回されてばかり・・・不遜ながら、当時はそんなことを思いました。

 

 

昭和天皇崩御後の数日間は、どのTV局も昭和天皇の生涯を振り返った番組、昭和時代を振り返った番組のみが放映され、CMが皆無だった覚えがあります。

見るものがないので、最初は見てましたが・・・

基本的には、どこのTV局でも内容自体はほぼ一緒で、2日目あたりには飽きて、TVを見てなかった思います。
 

 

 

 

当時、2歳下の弟が高校(私とは別の高校)のスキー教室に参加しており、その期間中に崩御され・・・

スキー教室の行きは昭和・・・帰りは平成・・・そんなことがありました。