<その時歴史は動いていた>東日本大震災 余震 | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

現在、五十有余歳・・・

五十にして天命を知る歳から数年・・

いろいろ経験してきまして、その中には歴史的な瞬間もあったわけです。

そんな歴史的な瞬間、何をしていたかを綴ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今回は、2011年3月11日14時46分に発生した・・・

東北地方太平洋沖地震・・・

東日本大震災・・・

その本震の後に多発した余震についてです。

公辞苑

(震災2年後、2013年の石巻)

 

 

 

 

 

地震当日のことは、一度書きましたが・・・

 

その後に、余震が多発しており、その時のことを書きます。

 

なお、2011年3月中にM5以上の余震は479回、震度1以上の余震は3,016回発生・・・

2021年3月6日までに観測されたものは、M5以上が990回、M6以上が135回、M7以上が11回、最大震度4以上のものは429回、最大震度1以上のものは14,710回になるそうです。

 

 

 

 

本震のあった2011年3月11日は、慈恵医大の某科で勉強会を予定してたのですが・・・

それを実施するのか 延期するのか の確認が取れず、とりあえず現地に行って、直接確認した結果・・・当然ながら延期になりました。

 

その後、本震後も大学病院では大変であろうから、1ヶ月ほどはコンタクトを控え・・・

1ヶ月少し経った頃に、邪魔にならない範囲で、慈恵医大の某科へ伺ってみました。

アポイントは取らず、様子見だけで・・・その日に何かをするつもりもありませんでした。

 

お伺いしたのは病院ではなく、医局のみの建物である医局棟・・・けっこう古い建物でした。

行き先の某科の医局は、医局棟の高層階にあります。

伺ってみると、医師の方々はおらず、秘書さんのみ・・・

ちょっと待ってみて、医師の方々が戻ってきたら挨拶をし・・・

待っても全然来ないようなら、帰ることにしました。

医局の中では待てませんので、外のエレベーター乗り場前で待つことに・・・。

 

 

すると、ちょっと時間が経った時に、大きな揺れが!

東日本大震災の余震のようです。

 

その揺れは大きく、某科の秘書さんが「キャー」と叫びながら、医局の扉から飛び出してきました。

 

自分や他会社の人々が立っていたエレベーター前と・・・秘書さんの間は廊下で 3m 程度の距離でしたが・・・

自分たちのいた場所の上下の揺れと、秘書さんの立ってる場所の上下の揺れが異なり・・・

こっちが上に上がってる最中、向こうは下に沈み・・・こっちが沈むと、向こうは上がる・・・

 

これを見て、秘書さんは更に「キャー」と・・・

秘書さんと顔見知りの他会社の人は「こっちへ」と促し・・・

秘書さんは、揺れの境目あたりをジャンプして、こちらへ・・・

自分は、この揺れとこの光景を見て・・・

「この建物が崩れるのも時間の問題だな・・・」と思った次第です。

 

もちろんエレベーターは揺れのため、電源が止まり・・・

エレベーターの向かい側には非常階段がありましたが、非常階段エリアは吹き抜けになっており、高層階から下るのは危険な感じ・・・

「建物崩れそうな時に、ジタバタして見苦しい形では死にたくないな・・・」そんな思いに駆られ・・・

意外にも心穏やか・・・と言いますか、諦も含みつつ、静かにエレベーター前に佇んでました。

 

 

大きな揺れでしたが、1~2分程度で止まり・・・

電源の止まっていたと思われたエレベーターも、すぐに回復・・・

建物の外を見てたところ、大騒ぎにはなってない様子・・・

よく見ると、揺れの異なっていた境目の場所(廊下)も亀裂が入っているようなことはなく・・・

 

どうも古い建物の高層階で・・・ちょうど建付けの悪場所だったのかもしれません。

でも、本当に死を感じる程の揺れだったんですよね。

 

 

 

なお、これ以降、やや刹那主義になりました。