【に】二重橋(にじゅうばし) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

二重橋・・・

正確には、皇居にある正門鉄橋の通称。

皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋。

但し、その手前にある正門石橋と正門鉄橋二つの総称としても用いられ、現在はこちらの方が一般的。

 

 

 

 

 

 

 

一番最初の説明にも書きましたが・・・

二重橋と言えば、一般的に皇居の二つの橋・・・平行に二重に並んだ橋と思われがちですが・・・

正式には、上の画像の奥の橋・・・正門鉄橋の通称が二重橋であり・・・

手前の眼鏡橋・・・正門石橋は二重橋には含まれません。

 

奥の橋は高い位置に架かってますが、昔は技術的に橋の脚を立てることができず・・・

低い位置に橋をつくり、それを支えにして上の橋を造ったそうで・・・

上下二重の橋・・・二重橋だったそうです。

 

 

 

 

先日、三菱一号館美術館に行きましたが・・・

 

小企画として、幕末から明治期に移る江戸・東京の姿を浮世絵・近代版画で見る・・・というものがありました。

 

 

先ほどの二重橋の写真と同じアングルの浮世絵・版画もいくつかありまして・・・

 

 

 

『東京名所図会 二重橋』(三代歌川広重)・・・

奥の橋・・・

二重になってますよね・・・これが二重橋です。

でも、『東京名所図会 二重橋』という作品名で、手前の橋が大きく描かれてましたね・・・

この頃にも、二つの橋で二重橋って思われていたのでしょうか?

 

 

 

『皇居二重橋』(小林清親:明治9年)・・・

こちらでも、奥の橋の脚が下の濠まで達していませんので、二重になっています。

 

 

 

『東京名所競 内桜田二重橋』(長谷川竹葉:明治19年)・・・

こちらの絵・・・

二重であることが一番分かりやすいかもしれません。

こちらも『東京名所競 内桜田二重橋』という作品名で、手前の橋が大きく描かれてましたね・・・

でも、よく考えたら・・・皇居ですので、一般人は奥の橋に近づけませんので、自然と同じアングルになってしまうのかもしれません。

 

 

 

『皇城二重橋』(井上探景:明治29年)・・・

この頃になると、正門石橋と正門鉄橋(二重橋)になっていますね。

Wikiで調べてみますと、正門石橋は明治20年(1887年)、正門鉄橋が明治21年に架け替えられたようです。

 

 

 

なお、私・・・二重橋(正門鉄橋)を通ったことがあります。

現在の上皇陛下が在位されていた時の天皇誕生日の一般参賀にお伺いしたことがありまして・・・

現在の今上陛下の誕生日にはお伺いしたことがありませんが、いずれお伺いしたいと思ってます。