平野・・・
大阪府大阪市平野区の地名。
平野区全体のことも指すが、かつて環濠都市・自治都市を形成していた平野郷の本郷七町だった地区を指す。
地名の由来は、平安初期に坂上田村麻呂の次男・広野麻呂の荘園があったことから、「広野」から「平野」への転訛したと言われている。
1月23日(木)~26日(日)の大坂旅行・・・
三日目の25日は、平野と呼ばれるエリアに行ってきました。
その平野・・・前回の続きです。
前回の長寶寺から5分程度、北西に位置する大寺院へ・・・
日本十三宗の一つ融通念仏宗の総本山です。
その教義は、1人の念仏が万人の念仏に通じ、阿弥陀如来の本願力と自分と万人の念仏の功徳が、互いに融通して絶大な力となるというものです。
大治2年(1127年)、鳥羽上皇の勅願により宗祖の良忍が開創したお寺です。
その前身は坂上広野麻呂(田村麻呂の次男)の私邸内に建てられた修楽寺といわれているそうです。
立派な山門の先・・・
本堂があるはずですが、現在改修中・・・
大阪府内でも屈指の規模を誇る木造建造物になるそうです。
隙間からもよく見えず・・・残念・・・(´・ω・`)
現在は瑞祥閣という建物が仮本堂となっていました。
この後、JR平野駅前を通って古い神社へ向かってますと、堀跡のようなものが・・・
お目当ての神社は、この堀の向こう側なんですが・・・
堀が長くて・・・なかなかたどり着けない・・・(´・ω・`)
平野環濠跡との碑がありました。
かつて環濠都市だった頃の遺構のようです。
堀跡のせいで大回りになりましたが、お目当ての神社にも着きました。
杭全神社(くまたじんじゃ)です。
貞観4年(862年)、この地に荘園を有していた坂上当道(田村麻呂の孫、広野麻呂の子)が素戔嗚尊を氏神として祀ったのが始まりらしく、それが現在の第一本殿らしいです。
建久元年(1190年)、熊野證誠権現(伊弉諾尊)を勧請、それが現在の第三本殿・・・
元亨元年(1321年)、熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請、後醍醐天皇よりのその勅額を賜ったのが、現在の第二本殿になるそうです。
門をくぐり・・・
拝殿からのお祈り・・・
三つの御本殿は見れないものなんだろうと、ここで失礼をしてかえりましたが・・・
神社のホームページに掲載されているパノラマビューには、三つの御本殿らしき画像があり・・・
どうも、もっと近寄れたようです・・・(´・ω・`)