【ひ】平野(ひらの) ~後編~ ;万博直前大阪旅行⑪ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

平野・・・

大阪府大阪市平野区の地名。

平野区全体のことも指すが、かつて環濠都市・自治都市を形成していた平野郷の本郷七町だった地区を指す。

地名の由来は、平安初期に坂上田村麻呂の次男・広野麻呂の荘園があったことから、「広野」から「平野」への転訛したと言われている。

 

 

 

 

 

1月23日(木)~26日(日)の大坂旅行・・・

三日目の25日は、平野と呼ばれるエリアに行ってきました。

その平野・・・前回の続きです。

 

 

 

前回の長寶寺から5分程度、北西に位置する大寺院へ・・・

大念佛寺です。

日本十三宗の一つ融通念仏宗の総本山です。

その教義は、1人の念仏が万人の念仏に通じ、阿弥陀如来の本願力と自分と万人の念仏の功徳が、互いに融通して絶大な力となるというものです。

大治2年(1127年)、鳥羽上皇の勅願により宗祖の良忍が開創したお寺です。

その前身は坂上広野麻呂(田村麻呂の次男)の私邸内に建てられた修楽寺といわれているそうです。

 

 

立派な山門の先・・・

 

本堂があるはずですが、現在改修中・・・

大阪府内でも屈指の規模を誇る木造建造物になるそうです。

 

隙間からもよく見えず・・・残念・・・(´・ω・`)

 

現在は瑞祥閣という建物が仮本堂となっていました。

 

 

 

この後、JR平野駅前を通って古い神社へ向かってますと、堀跡のようなものが・・・

 

お目当ての神社は、この堀の向こう側なんですが・・・

堀が長くて・・・なかなかたどり着けない・・・(´・ω・`)

 

平野環濠跡との碑がありました。

かつて環濠都市だった頃の遺構のようです。

 

 

 

堀跡のせいで大回りになりましたが、お目当ての神社にも着きました。

杭全神社(くまたじんじゃ)です。

貞観4年(862年)、この地に荘園を有していた坂上当道(田村麻呂の孫、広野麻呂の子)が素戔嗚尊を氏神として祀ったのが始まりらしく、それが現在の第一本殿らしいです。

建久元年(1190年)、熊野證誠権現(伊弉諾尊)を勧請、それが現在の第三本殿・・・

元亨元年(1321年)、熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請、後醍醐天皇よりのその勅額を賜ったのが、現在の第二本殿になるそうです。

 

 

門をくぐり・・・

 

拝殿からのお祈り・・・

三つの御本殿は見れないものなんだろうと、ここで失礼をしてかえりましたが・・・

 

神社のホームページに掲載されているパノラマビューには、三つの御本殿らしき画像があり・・・

どうも、もっと近寄れたようです・・・(´・ω・`)

 
 
 
この日の観光は、この平野地区だけを回って終了・・・
この日の後半は、ショボンとすることが多かったです。
(´・ω・`)