【ふ】藤原道頼(ふじわら の みちより) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

藤原道頼・・・

971年~995年、平安時代の公卿。

藤原北家、関白 藤原道隆の長男。

母は山城守 藤原守仁の娘。

20歳で参議・大納言に進んだが、長徳元年の流行病で没した。

『落窪物語』の右近の少将のモデルとされる。

 

(漫画『おちくぼ』より)

 

 

 

 

 

 

 

前回の福足君の話に続き・・・

『光る君へ』に出てないけど、『光る君へ』の登場人物に近いところにいたはずの藤原氏人物列伝です(元ネタは、『大鏡』)。

 

 

 

今回の藤原道頼ですが・・・

中関白家の藤原道隆の長男になります。

 

ということで、伊周隆家とは兄弟になります。

 

まぁ、母は異なるので異母兄弟ということですが・・・

実際は、伊周が三男、隆家が四男のようです。

でも、嫡男は伊周で、道頼の方が低く置かれていたようで・・・

992年頃に伊周に昇進を追い越されてしまったそうです。

 

ちなみに・・・

子供の頃は、道頼は大千代君、伊周が小千代君と呼ばれてたそうですから、最初から伊周 優位という訳でもなかったようです。

 

 

 

なお、道頼は祖父の兼家の養子として迎え入れられたそうで、六郎君と呼ばれたそうです。

 

六郎ということは、おそらく六男扱い・・・

ちなみに、道長は兼家の五男です。

 

 

 

藤原道頼・・・

中関白家の道隆の長男で、伊周たちとは兄弟・・・

兼家の養子でもあるので、道長とは義理の兄弟・・・

『光る君へ』に出てきても おかしくないポジションにいたのですが・・・

 

実父の道隆が亡くなった数か月後に亡くなっており・・・

『大鏡』でも大きなエピソードがないので・・・

『光る君へ』に登場させなかったんでしょうね・・・。

 

 

 

でも、藤原道頼は『落窪物語』の主要人物である右近の少将のモデルらしく・・・

『落窪物語』は『源氏物語』に先立つ物語ですし・・・『枕草子』にも『落窪物語』に関する言及があるそうで・・・

そう言った意味では、やっぱ『光る君へ』に絡ませることは可能だったような気がします。

(歌舞伎『おちくぼ物語』より)