【ほ】宝戒寺(ほうかいじ) ;鎌倉日帰り旅行④ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

宝戒寺・・・

鎌倉市小町にある天台宗の寺院で、山号は金龍山。

1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため、後醍醐天皇の命をうけた足利尊氏によって、北条氏歴代執権屋敷跡であるこの地に建立された。

 

 

 

 

 

さて、11月末の平日に有給休暇を取って、鎌倉に行ってきました。

 

小町通りを経由して鏑木清方記念美術館に行ったのですが、あいにくの休館・・・

いろいろ考えて、小町大路にある宝戒寺に行くことにしました。

(ちなみに、「小町通り」と「小町大路」は全く別の道路です)

 

 

 

こちらが宝戒寺の入り口で、手前を横切るのが小町大路です。

詳名は金竜山釈満院円頓宝戒寺

 

 

敷地内の碑を見ますと・・・

北條九代屋敷 頼経公已後代将軍家鋪・・・

北條執権邸旧蹟・・・

 

北条義時以来の歴代の北条得宗家屋敷 北条執権邸跡と伝えられています。

得宗家9代目当主で元第14代執権の北条高時は新田義貞に追い詰められ、邸宅の裏の東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅亡。

その北条氏を弔うため後醍醐天皇足利尊氏に命じて建てたと伝わっています。

 

 

なお、頼経とは第4代将軍・藤原頼経(九条頼経、幼名・三寅)のことで・・・

源実朝の死後、頼経を鎌倉に迎えるにあたり、この北条邸の南に御所が新造されたそうです。

 

 

若干ですが、紅葉も嗜んできました。

 

 

 

 

<オマケ>

宝戒寺から小町大路もちょっとだけ南に行きますと・・・

土佐坊昌俊邸址の碑がありました。

土佐坊昌俊は、源頼朝と義経の対立の中で、義経誅伐の刺客として差し向けられたと言われる人物です。