【て】田園調布古墳群(でんえんちょうふこふんぐん) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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田園調布古墳群・・・
荏原台古墳群を構成する古墳群。
荏原台古墳群は、下流左岸の大田区の田園調布周辺から世田谷区の野毛にかけて 広がる大小50基の古墳からなる。
荏原台古墳群は、田園調布を中心とする田園調布古墳群と野毛を中心とする野毛古墳群とに分けられる。
 
 
 
 
6月末に引っ越しをしました。
その前に、引っ越し前の地 雪谷大塚の近くを回ってみようと思い・・・
多摩川駅周辺から田園調布駅周辺にある古墳・古墳跡を回ってみることにしました。
 
 
まず、前の自宅から約20分程度歩いたところに多摩川駅があります。
 
 
その多摩川駅から出てる東急多摩川線の踏切の近くに富士見坂という坂があります。

その坂の麓に「扇塚」と書かれた石碑があります。
ここにはかつて扇塚古墳という古墳があったそうです。
現在墳丘は残っていませんが、銅鏡や鉄剣などが出土したそうです。
 
 
扇塚古墳から多摩川線の線路の逆側へ行きますと、多摩川浅間神社があります。
ここに神社は北条政子に関するエピソードがあったり、「シン・ゴジラ」で有名ですが・・・
社殿は古墳の墳丘の上に建っており、浅間神社古墳と呼ばれています。
6世紀前半頃に築造された前方後円墳ですが、社殿の造営のため削られてしまっているそうです。
 
 
浅間神社の北側にある多摩川台公園へ向かいました。
多摩川沿いの丘陵地に約750メートルにわたって展開される公園です。
ここにいくつかの古墳が残っています。
 
 
まずは公園の一番南にある亀甲山古墳です。
画像の右側・・・フェンスで囲まれた部分が古墳です。
なかなか大きく全体を撮ることはことはできませんでした。
荏原台古墳群で最大の前方後円墳で、全長107mです。
東京都の中では、大きな部類の古墳になります。
4世紀末~5世紀初頭頃の築造のようで、多摩川下流域の首長墓と考えられています。
国の史跡に指定されてるようです。
 
 
亀甲山古墳の北側に多摩川台古墳群と呼ばれる8基の古墳からなる古墳群があり、1号~8号の番号がついてます。
 
南から順に、1号墳の番号が付いてます。
次が2号墳
なお、最初に2号墳が円墳として6世紀前半に築造され、その2号墳を前方部として利用した形で1号墳を後円部としたとした前方後円墳が6世紀後半に築造されたようです。
上の画像は2号墳側から1号墳・2号墳を見たところです。
この前方後円墳の全長は39mになるようです。
 
3号墳
4号墳
5号墳
これら3基の円墳は、6世紀末~7世紀初頭の築造になるようです。
それぞれ全長18m前後のようです。
 
6号墳
7号墳
 
1号墳~7号墳は比較的近くに連なっていますが、8号墳はちょっと離れた場所にあり、小さな陸橋を渡ります。
下が8号墳です。
6号墳~8号墳も円墳で、7世紀代に築造されたようです。
これらも全長18m前後のようです。
 
 
8号墳から更に北へ進むと、宝萊山古墳があります。
下の画像で右側にあるフェンスに囲まれたところが古墳です。
なお、墳丘へ上がれる小道があります。
前方後円墳で、上の画像で手前が前方部になります。
田園調布古墳群で一番古い古墳で、4世紀末頃の築造と考えられているようです。
全長97mと大きく、多摩川下流域では最初の首長墓になるようです。
現在、後円部は大部分が失われています。
下は後円部辺りを撮ったものです。
なお、この古墳と亀甲山古墳は前方部が向かい合せになるように造られているそうです。
 
 
これらの田園調布古墳群からは西側に多摩川が見えます。

多摩川から仰ぎ見ると、これらの古墳がよく見えたんでしょうね。

 
 
古墳巡りを終え、田園調布駅まで歩いて、終了としました。