【う】宇都宮氏(うつのみやし);GW 宇都宮 日帰り旅行② | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

宇都宮氏・・・

関白 藤原道兼の曽孫である藤原宗円は、前九年の役に随行し、戦勝の祈祷を行った功績により下野国守護職および下野国一宮(二荒山神社)の社務職に任じられ、宇都宮氏の祖となった。

宗円の孫の宇都宮朝綱から宇都宮氏を名乗る。

宇都宮氏は代々二荒山神社の社務職を相伝。

頼綱のとき源頼朝に仕え、執権北条氏と通婚し、子孫代々引付衆に列した。

南北朝内乱期には足利尊氏に属し、下野、常陸などに所領を有した。

国綱にとき豊臣秀吉に従ったが、秀吉の晩年頃に所領を没収され、備前に配流。

所領回復の望みもあったが、秀吉の死により実現せず、関東の名門 宇都宮氏は歴史の表舞台から去る。

 

 

 

 

GWの5月6日・・・

栃木県の宇都宮に日帰り旅行してきました!

 

宇都宮市で一番最初に行った旧篠原家住宅は休館日で、残念な結果になってしまいましたが・・・

引き続き市内の寺社等を回りました。

 

 

 

まずは旧篠原家住宅の北西方向にある興禅寺

宇都宮貞綱(8代目当主)を開基として、正和3年(1314年)に創建。

慶長2年(1597年)の秀吉による宇都宮氏改易により衰退しますが、江戸時代初期に宇都宮藩主 奥平家昌にヨって再興されてます。

 

境内は綺麗な感じです。

 

宇都宮貞綱(8代目当主)・公綱(9代目当主)親子の墓とされる2基の巨大な五輪塔があります。

宇都宮公綱は、楠木正成に「坂東一の弓取り」と言わしめるほどの武将だったそうです。

 

この五輪塔の脇に小さな供養塔がありますが、こちらは宇都宮藩主 奥平家昌・忠昌 親子の墓です。

 

ちなみに、お寺の駐車場に宇都宮貞綱の像がありました。

 

 

 

次に旧篠原家住宅の西方にある清巌寺

宇都宮頼綱(5代目当主)が宿郷というところ(宇都宮市内)に建てた念仏堂がその始まりらしいです。

天正元年(1573年)、これを宇都宮家の重臣で姻戚関係もあった芳賀高継が兄 高照の菩提を弔うため、現在の場所に移したそうです。

 

ここのお寺には鉄塔婆・・・鉄製の塔婆があるそうですが、現存する日本最古の鉄塔婆らしく、国の重要文化財に指定されています。

宇都宮貞綱(8代目当主)が正和元年(1312年)に母の十三回忌のため鋳造し、東勝寺というお寺に奉納したものらしいです。

東勝寺は慶長の宇都宮氏改易により廃寺となり、鉄塔婆は清巌寺に移されたそうです。

 

鉄塔婆はこちらの収蔵庫にあるようですが、見れませんでした。

 

 

 

そして、清巌寺の更に西方にある生福寺

永享10年(1438年)、宇都宮等綱(14代目当主)による創建とのことです。

 

境内には、こんな碑もありました。

与謝蕪村が蕪村と号したのは宇都宮だったようです。