宇都宮氏・・・
関白 藤原道兼の曽孫である藤原宗円は、前九年の役に随行し、戦勝の祈祷を行った功績により下野国守護職および下野国一宮(二荒山神社)の社務職に任じられ、宇都宮氏の祖となった。
宗円の孫の宇都宮朝綱から宇都宮氏を名乗る。
宇都宮氏は代々二荒山神社の社務職を相伝。
頼綱のとき源頼朝に仕え、執権北条氏と通婚し、子孫代々引付衆に列した。
南北朝内乱期には足利尊氏に属し、下野、常陸などに所領を有した。
国綱にとき豊臣秀吉に従ったが、秀吉の晩年頃に所領を没収され、備前に配流。
所領回復の望みもあったが、秀吉の死により実現せず、関東の名門 宇都宮氏は歴史の表舞台から去る。
GWの5月6日・・・
栃木県の宇都宮に日帰り旅行してきました!
宇都宮市で一番最初に行った旧篠原家住宅は休館日で、残念な結果になってしまいましたが・・・
引き続き市内の寺社等を回りました。
まずは旧篠原家住宅の北西方向にある興禅寺。
宇都宮貞綱(8代目当主)を開基として、正和3年(1314年)に創建。
慶長2年(1597年)の秀吉による宇都宮氏改易により衰退しますが、江戸時代初期に宇都宮藩主 奥平家昌にヨって再興されてます。
境内は綺麗な感じです。
宇都宮貞綱(8代目当主)・公綱(9代目当主)親子の墓とされる2基の巨大な五輪塔があります。
宇都宮公綱は、楠木正成に「坂東一の弓取り」と言わしめるほどの武将だったそうです。
この五輪塔の脇に小さな供養塔がありますが、こちらは宇都宮藩主 奥平家昌・忠昌 親子の墓です。
ちなみに、お寺の駐車場に宇都宮貞綱の像がありました。
次に旧篠原家住宅の西方にある清巌寺。
宇都宮頼綱(5代目当主)が宿郷というところ(宇都宮市内)に建てた念仏堂がその始まりらしいです。
天正元年(1573年)、これを宇都宮家の重臣で姻戚関係もあった芳賀高継が兄 高照の菩提を弔うため、現在の場所に移したそうです。
ここのお寺には鉄塔婆・・・鉄製の塔婆があるそうですが、現存する日本最古の鉄塔婆らしく、国の重要文化財に指定されています。
宇都宮貞綱(8代目当主)が正和元年(1312年)に母の十三回忌のため鋳造し、東勝寺というお寺に奉納したものらしいです。
東勝寺は慶長の宇都宮氏改易により廃寺となり、鉄塔婆は清巌寺に移されたそうです。
鉄塔婆はこちらの収蔵庫にあるようですが、見れませんでした。
そして、清巌寺の更に西方にある生福寺。
永享10年(1438年)、宇都宮等綱(14代目当主)による創建とのことです。
境内には、こんな碑もありました。
与謝蕪村が蕪村と号したのは宇都宮だったようです。