【み】水戸城(みとじょう);GW 水戸 日帰り旅行⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

水戸城・・・

水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城。

北側に那珂川、東側はもと湿地、南側に千波湖となっており、三面が水・湿地で囲まれていた。

江戸期には水戸徳川家の居城で、水戸藩の政庁が置かれた。

古くは平安末期に馬場氏が館を築き、室町中期に江戸氏が攻略し、この地を整備して城下町の端緒を開いた。

江戸氏を滅ぼした佐竹氏が居城とした時代もある。

関ヶ原の戦いの後、佐竹氏は移封、徳川家の防御拠点として重視され、武田信吉、徳川頼信、徳川頼房と家康の子が相次いで水戸藩に報じられた。

 

 

 

GWの5月5日の水戸の日帰り旅行・・・

偕楽園のあとは、水戸駅の北側の水戸城の遺構・復元物などを見てきました。

 

 

水戸城に関する案内板がありましたので、それを掲載します。

西から三の丸、二の丸、本丸、下の丸と4つの曲輪が配されています。

下の丸には行きませんでしたので、残りの本丸~三の丸までの遺構・復元物を見て行きたいと思います。

 

 

 

まずは、本丸です。

中世のころは城の中心となるエリアだったようですが、近世になると重要性が低くなり、政務等の中心は二の丸に移っていったようです。

本丸の現在は県立水戸第一高校の敷地となっています。

その高校ですが、水戸城遺構の見学目的であれば、校門のちょっと先まで立ち入ることが許されています。

 

実際に校門近くの土塁が見れます。

水戸城は土塁と空堀で構築されたお城で、石垣構築の計画は何度かあったそうですが、結局は石垣は築かれなかったようです。

 

こちらは薬医門で、水戸城で唯一の現存建築物になります。

本丸の橋詰門だったと考えられ、現在 高校の敷地に移築されたそうです。

高校の敷地で入れるのは、この薬医門のところまでです。

 

こちらは本丸と二の丸を隔てる空堀です。

かなり深いですよね。

左が本丸、右が二の丸で、空堀の下には現在はJR水郡線が走っています。

 

 

 

次に二の丸です。

御殿などの重要建造物が建てられ、水戸藩の中心エリアとして機能していたようです。

現在は市立第二中学、県立水戸第三高校、茨木大附属幼稚園・小学が占め、学校敷地外にある復元物などを見ることができます。

 

二の丸の南東端あたりにある柵町坂下門です。

柵町という町からの入り口です。

この門をくぐって、坂を上がったところに柵町門という門があり、その先が二の丸でした。

 

こちらは二の丸の北東あたりにある杉山門です。

二の丸の北口になり、土塁で枡形がつくられていたそうです。

門から出て坂を下ると、杉山通という道に当たります。

 

こちらは二の丸の南西端にある二の丸角櫓です。

学校と学校の敷地の間の迂回通路から行くことができます。

櫓内に入ることができます。

水戸城に関する説明板や展示物が設置されています。

下は展示物の一つ、伝大手門門扉です。

 

二の丸跡地の北西エリアは中学校ですが、そこは彰考館の跡地になります。

彰考館は大日本史を編纂するために置かれた編纂所です。

校門前にはその石碑が建っています。

 

こちらは二の丸の西側にある大手門です。

 

こちらは二の丸と三の丸を隔てる空堀です。

ここも深いですよね。

左が二の丸、右が三の丸で、空堀の下には県道が走っています。

 

 

次に三の丸です。

重臣屋敷地で、第9代藩主・斉昭により藩校の弘道館が置かれたところです。

現在は弘道館公園、市立三の丸小学校、市民センター、県立図書館、県の庁舎などの敷地になっています。

 

先ほどの大手門から出て、空堀の上の大手橋を渡ると弘道館があります。

斉昭によって開設された藩校です。

ここは中にも入りましたので、後ほど別記事にします。

 

三の丸の西側には、土塁と空堀が残っています。

こちらの空堀には線路も道路も走ってませんので、本来の空堀を見る意味では良いかもしれません。

なかなかダイナミックでした。