【か】河内源氏(かわちげんじ) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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河内源氏・・・

貞純親王流の清和源氏から出た一流で、「武の家」としての源氏の代表的家系。

源満仲の第三子で河内国石川・古市地方に本拠地を有した頼信を祖とする。

頼信は平忠常の乱を鎮定、その嫡子頼義、嫡孫義家はそれぞれ前九年・後三年の両役で武名を高め、この源家三代によって「武の家」の評価が定まった。

この三代が河内国石川郡に住んでいたので、河内源氏という。

 

 

 

 

 

6月末のことですが、上中里と呼ばれるところに行ってきました。

 

上中里駅を降りて、すぐのところに蝉坂という坂があります。

かつて太田道灌が攻め上がった坂で、「攻め坂」から「蝉坂」になったと言われているそうです。

 

 

上がったところに平塚神社という神社があります。

かつて平塚城という城があり、その跡地のようです。

平安時代に豊島近義が築城。

豊島氏の城でしたが、文明10年(1478年)に太田道灌によって落城、その後使われなくなり、廃城となっています。

 

さて、神社のほうですが御祭神は、八幡太郎 源義家命、賀茂次郎 源義綱命、新羅三郎 源義光命です。

河内源氏二代目棟梁の源頼義の子である三兄弟が御祭神です。

後三年の役の帰途に、源氏三兄弟が平塚城に立ち寄り、もてなしを受け、その感謝のしるしに鎧を与えたそうです。

豊島近義が元永年間(1118~1120年)に城の鎮護のためその鎧を埋めて塚を築き、「鎧塚」「甲冑塚」と呼ばれるものができたそうです。

その塚は現在の本殿の裏にあるそうです。

その後、近義は社殿を建てて源氏三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願ったそうで、それが始まりのようです。

なお、ここの塚が高くなく、平たかったことから「平塚」と呼ばれるようになったそうです。

 

義家が関与する神社はよく耳にしますが、三兄弟というのはけっこう珍しいような気がします。

 

 

なお、近くに城官寺というお寺があります。

平塚神社境内の甲冑塚に奇瑞があり、その傍らに庵を建てて、僧を置いたのが始めのようです。

なお、徳川3代将軍家光が病で臥せていた時、平塚神社で城官が平癒を祈願したことを知り、「平塚山城官寺安楽院」の名を与えたそうです。