【て】鉄道連隊(てつどうれんたい) ;千葉散歩⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

鉄道連隊(鉄道聯隊)・・・

戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊。

明治29年(1896年)、大陸での軍用資材補給を円滑に実施する必要から、鉄道大隊が編成される。

義和団の乱時にて臨時鉄道隊が編成され、明治33年(1900年)から翌年まで義和団によって破壊された鉄道修理などに従事。

日露戦争では、鉄道建設、輸送任務などに従事。

明治40年(1907年)、鉄道連隊に昇格、その後は大東亜戦争まで活躍。

なお、大正7年(1918年) の改編により千葉町に鉄道第一連隊、津田沼町に第二連 隊が設置される。

 

 

 

 

11/3(祝)文化の日に千葉市へ日帰り旅行してきました。

まぁ、旅行と言うより、散歩って感じかもしれませんが・・・。

 

 

 

前回、千葉駅からモノレール数駅先の天台駅近くにある旧気球聯隊の格納庫(解体中)を見ましたが・・・

天台駅近くの千葉経済大学のキャンパス内に、鉄道聯隊に関連する建物があるとのことで、そちらにも行ってみました。

 

さすがにキャンパスには入りませんでしたが・・・

キャンパスの外をグルっと回って、北から敷地を覗いたところ・・・

赤レンガ造りの建物が見えました。

こちら、案内板によりますと、旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築とのこと。

明治41年(1908年)に旧陸軍鉄道連隊の材料廠として建築さで、大正時代には千葉陸軍兵器支廠となったそうです。

列車やレールなどの修理工場として使われたようです。

 

キャンパスに接する駐車場越しにこの建物を見ることができます。

修理工場として使用されていただけあって、長い建物でした。

なお、キャンパス内には引込線のレールも残ってるそうです。

 

ちなみに、旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築の内部は、こんな感じのようです。

 

 

 

その後、モノレールで再度移動しまして、千葉駅手前の千葉公園駅へ・・・

千葉公園を訪れました。

 

千葉公園は、池や運動施設のある公園ですが・・・

この地は、大正7年(1918年)から終戦まで鉄道第一聯隊 演習場だったそうです。

そんなこともあって、その時代の遺構が公園内に残っているようです。

 

その一つが、公園の池の北西にあるコチラ・・・架橋演習用橋脚です。

 

また、公園事務所の裏・・・来客専用駐車場に演習用トンネルがあります。

 

まだ、遺構については他にもあるそうですが・・・

下調べをしてこなかったので、見たのはここまで。

 

また、千葉観光もここで終了しました。

 

 

 

なお、かつて千葉駅の周辺はこんな感じだったようです。