神門古墳群(ごうどこふんぐん)・・・
千葉県市原市の国分寺台地区に築かれた古墳群。
前方後円墳3基、方墳3基、円墳1基が調査されている。
前方後円墳は3号墳、4号墳、5号墳であり、弥生時代終末期に築造されたと推定されている。
なお、5号墳、4号墳、3号墳の順に築造されたと推定。
5号墳の墳丘は現状保存されているが、1~4号墳は削平されている。
9月の四連休の某日・・・
千葉県市原市の国分寺・国分尼寺巡り・・・前回の続きです。
上総国分寺跡の近くに神門5号墳と言う古墳があるとのことで、寄ってみました。
Google Map をもとに行ってみますと、それらしきものがありました!
説明看板らしきものもありますし・・・。
なお、手前の黒い柵の向こうは墓地です。
看板を見ますと、やはり神門5号墳とのことです。
見づらいかもしれませんが・・・
説明看板には、5号墳の他に、4号墳、3号墳についても記載があり・・・
下部の3基の前方後円墳の図は、左から5号墳、4号墳、3号墳となっています。
見ての通り、5号墳は前方部が短くなっており、4号墳、3号墳と時代が新しくなるにつれて、前方部がしっかりとしてきてる感じです。
5号墳のような前方部がちょびっと いちじく型の墳丘は、前方後円墳が定型化する以前の古墳の特徴のようです。
なお、東日本ではかなり古い古墳の一つのようです。
周りは住宅地なので、あまりパシャパシャと撮影はしにくい雰囲気ですが、とりあえず撮ってみました。
古墳を北側から見た眺めです。
左側が後円部、右側が前方部だと思われます。
直径30~32.5mの後円部、その西側に長さ約12mの前方部が付き、全長42.6mになるそうです。
なお、上総国分寺の寺域は、神門古墳群をよけて設計されているようです。
<オマケ>
神門5号墳のすぐ南側には、南田瓦窯跡であることを示す説明看板がありました。
下の画像の、道の左側、土手下の看板です。
国分寺の瓦を焼いた窯の跡になります。
創建当時の国分寺、国分尼寺ともに神門瓦窯から瓦が供給されていたそうですが・・・
時代を経て国分寺は南田瓦窯から、国分尼寺は祇園原瓦窯からの補修瓦を使うようになっていったそうです。
それぞれ、国分寺、国分尼寺に近い場所にあった瓦窯のようです。
それと・・・
画像を見ての通り、防犯パトロール強化中なので、古墳と瓦窯跡をパシャパシャ撮るのは憚れまして・・・
撮ったのは、この程度です・・・。
(市原散策・・・つづく)