池上本門寺・・・
日蓮宗の大本山、日蓮入滅の霊場。
弘安5年(1282年)、日蓮は病気療養のため身延山より常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上の池上宗仲の館で入滅。
その後、池上宗仲が屋敷の一部を寄進したことに始まる。
東京も一応 緊急事態措置が解かれましたので、この土曜に久々に散歩してみようかと・・・
調べてみたら、池上本門寺が自宅から約3.5km・・・徒歩で45分程度・・・チョット歩きますが、運動不足にもちょっといい距離でしたので、そちらへ行ってきました。
池上本門寺は、今までも何回か行っており、何回か記事にしてますが・・・
改め紹介して紹介したいと思います。
寺域への入り口にある総門。
扁額の字は、本阿弥光悦の筆とのことです。
総門をくぐると、左側に理境院という子院が見えます。
日輪の草庵跡とありますが、日輪は九老僧(日郎の高弟の9人;日郎は六老僧・・・こちらは日蓮の高弟6名)の一人で、その母が工藤祐経の娘らしいです。
総門を真っすぐ進むと、此経難持坂という石段坂があります。
加藤清正による寄進と言われ、96段あるそうです。
(なお、今回は行ってませんが、境内には加藤清正の供養塔もあります。)
下の画像が、坂の上からの眺めになります。
ちょっと木々が茂ってますが、池上の町がよく見えます。
坂を上がりきって、ちょっと行きますと仁王門(三門)が見えます。
戦火により焼けてしまい、現在のものは戦後のものですが・・・
かつてのものは徳川秀忠により建立されたそうです。
仁王門の先にあるのが大堂(祖師堂)です。
この奥に日蓮の坐像が安置されてます。
その坐像は、よく歴史の教科書などに載っていますので、それを見たら「見たことある!」と思うと思いますよ。
大堂の西側に経蔵があります。
こちらは戦火をまぬがれた建物の一つで、天明4年(1784年)のもの。
内部には回転する八角形の書架があり、それを覗くことができます。
大堂と経蔵の間を北上していきますと、途中車道が横切り、そこを越したところに本堂があります。
本堂は塀に囲まれて、入りにくい雰囲気なこともあり・・・
大堂に行っても本堂まで来る人は少ないです。
この中に入ることができ、奥に釈迦如来像、四菩薩像が安置されてます。
また、本堂に入って、左右に仁王像が安置されてますが、モデルはアントニオ猪木らしいですよ。
以前は仁王門に安置されていたそうです。
本堂の北側にある御廟所へ。
中央が日蓮の灰骨を奉安する墓塔、向かって左には第2世日朗の墓塔、右には第3世日輪の墓塔が安置されてるそうです。
一度、仁王門の方へ戻りまして、境内の東側にある墓地エリアへ向かってみました。
ちょうど仁王門の裏側、墓地エリアの入り口付近に小坊主の像が愛らしいです。
墓地エリアで、ちょうど仁王門の東にあたるところに五重塔があります。
関東では幕末以前の五重塔は4基しかないそうですが、その中で一番古いものになるそうです。
徳川秀忠の平癒祈願のため建てられたもので、慶長12年(1607)に建立、翌13年に上棟らしいです。
なお、墓地エリアの北エリアには、力道山のお墓があります。
さて、墓地エリアを出るため、仁王門の方へ・・・
その仁王門の東南当たりの位置には日蓮の像が設置されてました。
説法してるところの像らしいですが・・・
ウルトラマンっぽく見えますし・・・「1、2、3、ダーッ!」にも見えますし・・・。
さて、再び境内の北の方へ・・・
境内の西側には車道が走っており、さらに西側が崖のようになってます。
その西側の車道で大堂の裏あたり・・・、
日蓮入滅の霊場とあります。
日蓮が実際に没した池上宗仲の館は、この崖の下にある池上本門寺の子院の本行寺のあたりにあったそうです。
ですから、大きな意味では池上本門寺が入滅の場なんでしょうけど、細かいことを言うと本行寺が本当の入滅の場であると言うことなんでしょうね。
その本行寺へ向かう坂の途中、北へ降りる別な坂が現れました。
その先にあるのは多宝塔とのことです。
日蓮を荼毘に付した地のようです。
現在のものは江戸後期のものらしいです。
そして、坂の下の本行寺へ。
池上本門寺の子院で、日蓮が実際に没した池上宗仲の館の跡らしいです。
・・・と言うことで、けっこう回りました。
当分は、密を避けながら近場訪問を行いたいと思います。