【り】力士(りきし) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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力士・・・

相撲取のこと。

仏教から出た仏の守護神 金剛力士にちなむ。

但し、飛鳥時代に渡来した経本の訳語にあり、それをもとに「力士」という言葉が使われていたが、勇士、壮士、健児などの広い意味をもち、相撲を取る人々は相撲人といった。

江戸時代中期頃に職業相撲が大名に抱えられて士分格に取り立てられるようになり、相撲取のことを「力士」と一般にも使われるようになった。

 

 

 

日本の歴史書の「日本後紀」の現代語訳版を読んでいますが・・・

 

その中で、こんな記載が見られました。

 

弘仁元年七月丁未(九日)

天皇が次のように勅した。

相撲人の貢進は毎月六月二十日以前としているが、今後は日限に関わらず、相撲人を得れば、すぐに貢進せよ。また、力が擢んでていなくても、相撲の技を体得している者は、併せて貢進せよ。

 

この本には、原文も載っていますので、それも何となく見てみますと・・・

 

弘仁元年七月丁未 勅、進膂力人、常限六月廿日以前、自今以後、隨得則進、莫期月、又雖力不一レ超衆、而解相撲、兼令進之

 

これを見ると、腕力系の力士が膂力人と定義され、技系の力士が相撲と呼ばれてような感じですね。

 

この解釈って合っているのかな・・・と思い、ネットで調べてみたのですが、なかなかヒットしませんでした。

関連しそうな記事を一つ見つけたのですが、それは「続日本紀」(日本の歴書)の原文にこんな記述があるそうです。

 

神亀五年四月辛卯 ・・・部下有騎射相撲及膂力者、輙給王公卿相之宅・・・

 

この「続日本紀」の現代語訳版も持っていますので、該当の日の記述を調べてみますと・・・

(こちらの本には原文は載ってません)

 

神亀五年四月二十五日・・・(国司・郡司たちは、)管内に騎射や相撲にすぐれた者、または力自慢の者があると、彼らを王族や公卿・宰相(参議以上の者)の宅に(送り込んでしまう。)・・・

 

これを見ても、相撲者が技を含めた相撲の上手い者であり、膂力者が力持ち(の力士)のような感じですね。

 

 

「続日本紀」や「日本後紀」は奈良時代~平安前期の歴史が書かれた歴史書です。

この当時にも相撲節会と呼ばれる宮中行事があったそうです。

この頃から、単なる力相撲だけでなく、技による相撲も称賛されていたってことなんでしょうね・・・。