【す】須磨(すま) ;神戸の旅⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

8月10日(土)~12日(振)で神戸に行ってきました。

8月12日は須磨と呼ばれるエリアを回ってきました。

 

 

須磨・・・

神戸市西部の地名。

背後に六甲山地の西端に当たる高取山、鉄拐山、鉢伏山をめぐらし、南西は明石海峡をへだてて淡路島に対面しています。

畿内の西の境界に当たり、交通・軍事上の要衝であり、関が置かれたそうです。

また、白砂青松の海岸で、古来 明石と並び称された景勝地でした。

 

 

 

前回の「一ノ谷」の記事で、一ノ谷町を散策したことを書きましたが・・・

その後、須磨エリアの中心新地とも言えるJR須磨駅山陽須磨駅の方面へ向かい、その周辺を散策しました。

古代からの重要地点なだけに、源平合戦以外のスポットもけっこうあります。

 

 

まず、山陽須磨駅から東へ3分程度のところに、村上帝社という小さな神社があります。

村上天皇(926-967)を祀っています。

村上天皇は摂関を置かずに親政を行い、「天暦の治」で有名な天皇です(実際には藤原氏が実権を握っていたそうですが・・・)

 

平安末期の太政大臣・藤原師長(1138-1192)が琵琶を極めるため唐に渡りたいと考えながら須磨まで来た時に、村上天皇の霊が現れ、師長に京都に帰るように勧め、琵琶の腕前を授けたという伝説があるそうです。

その伝説により、この地に村上天皇を祀ったと考えられているようです。

また、この地に前方後円墳があり、その形態が琵琶に似ているため伝説と結びついたとの話もあるようです。

 

 

次に、村上帝社から国道2号沿いに東へ5分程度歩いたところに・・・

綱敷天満宮という神社があります。

天満宮ですので、天神様・・・菅原道真(845-903)を祀った神社です。

藤原時平(871-909)の讒言により太宰府に左遷される道真が、その太宰府までの航海の最中に風波が高くなり、この地に一時上陸したそうです。

地元の漁師が漁網の網を敷き、それを丸めて円座として道真を迎えたのにちなんで創建されたそうです。

ちなみに、境内にはサーフボードを手にした菅公(菅原道真)の像がありました。

すぐ近くに須磨の海があるからなんでしょうか?・・・ちょっと謎。

 

 

その後、村上帝社から北へ上がる坂を200m登ったところにある関守稲荷神社へ行ってみました。

ここは須磨の関の跡地と考えられているそうです。

律令国家の時代、畿内を守る関所として愛発・不破・鈴鹿の三関が有名ですが、それに次いで須磨の関が重要な関所として設けられていたそうです。

その関の守護神として祀られていた神社がここの始まりと伝わっているようです。

ただ関所が本当にどこにあったかは正確には分かってないそうです。

境内に長田宮と刻まれた道標が建っていますが、これは近くの現光寺の裏で見つかったものを移したものです。

側面に「川東左右関所跡」と刻まれてるそうで、近所の現光寺あたりは少なくとも関所跡と呼ばれていた時代があるようです。

 

 

そのにも現光寺にも行ってみました。

関守稲荷神社から東へちょっといったところにあります。

ここは「源氏寺」ともいわれているそうです。

下の画像は、源氏寺の石碑です。

源氏と言っても、源平合戦の源氏ではなく、光源氏の方の源氏です。

「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられてるそうです。

また、先ほど書いた通り、須磨の関の跡地とも言われています。

 

 

このようにJR須磨駅・山陽須磨駅周辺には、王朝時代に関するスポットがいくつかあります。

須磨散策は、まだ続きますが・・・次回は、須磨寺です。