ゴールデンウィークは旅行の手配がつかず、埼玉県にある実家を根城に、埼玉のあちこちをチョコチョコと・・・
埼玉の黄金週間(ゴールデンウィーク)・・・略してタマ〇ンウィークです。
5月3日(祝・金)は行田市に行ってきまして・・・
忍城跡を回った後は、埼玉古墳群に行ってきました。
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)・・・
県名発祥の地「埼玉(さきたま)」にある古墳群です。
大型前方後円墳4基、中型前方後円墳4基、大型円墳1基から成る大型古墳群です。
近くの前玉神社が鎮座する円墳を含める場合もあるようです。
かつては、この他に多くの陪臣塚があったそうですが、昭和初期に壊されてしまったようです。
現在は、さきたま古墳公園として整備されています。
ちなみに、自分の世代の埼玉県の小学生は、遠足でここに行ってると思います。
(おそらく吉見百穴とセットで・・・ ;ちなみに百穴には行ってません)
さきたま古墳公園は、県道77号線で敷地が南北に分かれてますが・・・
まず、北のエリアを攻めてみました。
駐車場から一番近いところにある古墳が愛宕山古墳です。
埼玉古墳群内では、最小の前方後円墳になりますが、主軸長54.7mになるそうです。
6世紀前半の築造と推定されており、周濠が二重にめぐらされていたようです。
かつて墳丘の上に愛宕神社が祀られていたそうで、それが名前の由来になってるようです。
ちなみに、この古墳は登れません。
古墳ではないし、古墳公園の敷地地でもありませんが・・・
愛宕山古墳のすぐ北には天祥寺というお寺があります。
このお寺の周りは、ぐるっと古墳公園が囲んでいますが・・・。
奥平松平下総守家の藩祖・松平忠明が開基となり、大和郡山に創建されたものですが、9代目忠堯が桑名藩より忍藩へ移封され、お寺もここに移転になったようです。
天祥寺を脇に見つつ、愛宕山古墳から北へ400m程度歩いて行きますと、丸墓山古墳があります。
日本最大級の円墳で、主軸長が105.0m、高さ17.2mになります。
6世紀前半の築造と考えられており、埼玉古墳群内の二子山古墳と同時期になるようです。
二子山古墳は埼玉古墳群内最大の前方後円墳ですが、丸墓山古墳に盛られた土の量の方が多いと試算されてるそうです。
同時期の古墳で、大阪府高槻市に今城塚古墳という古墳があります。
今城塚古墳は天皇陵に治定されてませんが、真の継体天皇陵と考えられてる古墳です。
今城塚古墳の主軸長が190mですが、後円部径は100mであり、円丘部だけを見ると、丸墓山古墳の方が天皇陵(治定されてませんが)をしのいでたことになるようです。
(参考:今城塚古墳)
丸墓山古墳は、古墳群で唯一の円墳であり、唯一葺石がほどこされた古墳であり、その規模の大きさ、築造位置・・・そういったことを考えると謎の多い古墳のようです。
丸墓山古墳は登ることもできます。
実は、戦国時代末期、忍城攻防戦の際に石田三成が、この古墳の頂上に陣を布いたそうです。
せっかくなので、ここを登って、忍城の方を眺めてみました。
当時は、ここまで立派な櫓はなかったと思いますが、位置関係が分かり、面白いですね。
ちなみに、忍城に対しては水攻めを敢行してますが、その際の堤が行田市内各所にあり、石田堤と呼ばれてます。
さきたま古墳公園内では、駐車場から丸墓山古墳へ続く道が石田堤跡と言われてます。
登った時とは、別な道で降りました。
そういえば、最近では桜の名所としても丸墓山古墳が取り上げられることが多いですが・・・
ちょうどこのアングルで古墳を見ますと、頂上に桜が見えるわけですね。
埼玉古墳群・・・中編に続く・・・。