儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。
そんな「制覇の道」・・・
天皇陵をできるだけ回ってみる天皇陵編も実施中です。
(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)
2月に三連休で京都に行ってきました。
三日目は・・・天皇陵巡りに終始した半日で観光を終えました。
今まで京都駅から見て北方面は何度も行ってますが・・・
南方面へはあまり行ったことがなく・・・
地下鉄・烏丸線の南端駅である竹田駅に行ってみました。
竹田駅周辺を見てみますと・・・
白河天皇(第72代)、鳥羽天皇(第74代)、近衛天皇(第76代)の天皇陵があることが分りました。
ちなみに、白河天皇の第二皇子が堀河天皇(第73代)、堀河天皇の第一皇子が鳥羽天皇、鳥羽天皇の第九皇子が近衛天皇になります。
これは、行ってみましょう!
まずは一番東に位置する近衛天皇 安樂壽院南陵へ。
形式としては多宝塔で、天皇陵では唯一のものらしいです。
もともとは新御塔と呼ばれる三重塔だったらしいですが、慶長伏見地震によって被害を受け、豊臣秀頼によって多宝塔形式で再建されたものらしいです。
近衛天皇陵に北側には安樂壽院(安楽寿院)というお寺があります。
実は、この辺は鳥羽離宮と呼ばれる院御所があった地です。
白河上皇に仕えた藤原季綱が鳥羽の別邸を白河上皇に献上したのが鳥羽離宮の始まりで・・・
その離宮の東殿に鳥羽上皇が造営した仏堂が安楽寿院の始まりらしいです。
上は大師堂ですが、慶長伏見地震で新御塔が倒壊した際に、一時しのぎに新御塔の材を用いて建てた仏様のお堂になるそうです。
ここのお寺の側には、白河法皇・鳥羽法皇の院政の地との石碑も置いてあります。
次に、安楽寿院の西にある鳥羽天皇 安樂壽院陵に行ってみました。
こちらは本御塔と呼ばれる三重塔でしたが、、慶長伏見地震によって被害を受けたため、その後に仮堂が建てられたそうです。
その後、幕末になって宝形造屋根の仏堂として再興されたそうです。
ちなみに、鳥羽天皇陵・近衛天皇陵のもともとの建物である本御塔・新御塔ですが・・・
鳥羽上皇が生前に自分の墓所として造らせたのが本御塔で、鳥羽上皇の寵姫であり 近衛天皇の生母である美福門院(藤原得子)のために造られたのが新御塔とのことです。
ただ、二人の子である近衛天皇が早逝してしまい、新御塔は近衛天皇が葬られることになったようです。
そして、一番西にある白河天皇 成菩提院陵へ。
白河法皇は自分の墓所として鳥羽離宮の泉殿に三重塔を建立したそうです。
法皇の崩御時に遺骨を納めるための成菩提院ができておらず、一旦 香隆寺というお寺に埋葬されますが、成菩提院が完成されると同塔内に改葬されたそうです。
現在、方丘となってます。
近くに、別な比定候補地があるそうですが・・・調べずに行ったので、そちらへは行ってません。
ちなみに、近衛天皇陵と白河天皇陵の間には、北向山不動院というお寺があります。
鳥羽天皇陵は、このお寺の北側です。
鳥羽天皇の病気平癒を祈願した際に不動明王が出現、回復した天皇の勅命により、興教大師が開山した勅願寺です。
北にある王城鎮護のため不動明王像は北に向けられているため、この名になったようです。
ちなみに・・・
白河天皇(第72代)
院政を開始したことで有名です。
先帝の遺志で異母弟が皇太弟になる予定でしたが、実子を皇位につかせるため自分の第二皇子を皇太子に立て、その日に譲位してします。
そうして譲位された堀河天皇は8歳で、それを後見するため白河上皇による院政は自然な形で始まったようです。
その後、孫の鳥羽天皇、曽孫の崇徳天皇の代も院政をしいて、強力政治を行ってます。
鳥羽天皇(第74代)
4歳で即位、19歳で第一皇子の崇徳天皇に譲位。
その間は白河法皇による院政が続いてましたが、27歳の時に白河法皇が崩御すると、唯一の上皇であった鳥羽上皇の院政が始まってます。
崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇の代に院政をしいてます。
近衛天皇(第76代)
鳥羽天皇の第9皇子。
鳥羽上皇によって、その第一皇子である崇徳天皇(第75代)の養子とされ、3歳で即位。
病弱であったため17歳で崩御。
<参拝した歴代天皇陵>
神武(1)、綏靖(2)、安寧(3)、懿徳(4)、孝元(8)、開化(9)、垂仁(11)、成務(13)、仲哀(14)、応神(15)、仁徳(16)、履中(17)、反正(18)、允恭(19)、雄略(21)、清寧(22)、仁賢(24)、継体(26)、安閑(27)、宣化(28)、欽明(29)、天智(38)、天武(40)、持統(41)、文武(42)、孝謙(46)、称徳(48)、桓武(50)、光孝(58)、宇多(59)、醍醐(60)、朱雀(61)、村上(62)、圓融(64)、一条(66)、後朱雀(69)、後冷泉(70)、後三条(71)、白河(72)、堀河(73)、鳥羽(74)、崇徳(75)、近衛(76)、後白河(77)、二条(78)、安徳(81)、仲恭(85)、後堀河(86)、四条(87)、後嵯峨(88)、亀山(90)、後二条(94)、長慶(98)、後水尾(108)、明正(109)、後光明(110)、後西(111)、霊元(112)、東山(113)、中御門(114)、桜町(115)、桃園(116)、後桜町(117)、後桃園(118)、光格(119)、仁孝(120)、孝明(121)、明治(122)、大正(123)、昭和(124)