【に】仁和寺(にんなじ)前編 ~京都旅行⑥ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

仁和寺・・・

京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。

光孝天皇(第58代)が西山御願寺として着工したのがはじまりです。

その西山御願寺の完成を見ずに光孝天皇は崩御。

遺志を継いだ宇多天皇(第59代)により西山御願寺は仁和4年(888年)に完成し、年号を取って仁和寺と号したそうです。

宇多天皇は出家して仁和寺に御座所である御室を営んだため、御室御所とも呼ばれたそうです。

以降、明治2年まで皇子・皇孫が住職を務める門跡寺院でした。

現在、「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されています。

ちなみに、御室派は仁和寺を総本山とし、全国に約790箇寺あるそうです。

 

 

 

2月に三連休で京都に行ってきました。

 

二日目・・・まさに光孝天皇陵、宇多天皇陵に行った後に・・・

仁和寺に行ってきました。

 

まず正面入り口の門が二王門です。

平安時代の伝統を引き継ぐ和様で統一された門で、重要文化財に指定されてます。

もちろん二王像が設置されてまして、後面には唐獅子像が設置されています。

 

二王門から入って、左側(西側)には御殿と呼ばれる区画があります。

御殿は宇多法皇の御所があった場所になるそうです。

 

御殿の入り口の建物から廊下を渡っていきますと、まず白書院と建物に着きます。

白書院は南庭の西側に建立された建物です。

襖絵などは、昭和12年(1937年)に福永晴帆画伯による松の絵が部屋全体に描かれています。

 

ちなみに、南庭はこんな感じです。

白書院からの眺めになります。

後ほど紹介します宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれています。

 

白書院から廊下を渡って、北東の建物に進みましたが・・・

そちらが宸殿のようです。

見ての通り宸殿は修理工事中でして、ちょっと勿体ない感じでした。

もっとも建物の中のお部屋はいろいろと見れますので、問題ないです。

宸殿は儀式や式典に使用される御殿の中心建物です。

寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていましたが、明治20年(1887年)に焼失。

現在のものは大正3年(1914年)竣工されたもののようです。

 

宸殿の北には北庭があります。

南庭とは対照的な池泉式の庭園です。

 

宸殿の北の北庭の向こうには、霊明殿という建物があります。

明治44年(1911年)に建立されたものです。

後ほど紹介する黒書院の廊下を経由して、向かうことができます。

 

宸殿の西側には黒書院という建物があります。

花園にあった旧安井門跡の寝殿を移して改造したもので、明治42年(1909年)竣工されてます。

 

黒書院と白書院を結ぶ廊下がありますので、そこを経由して御殿を後にしました。

 

ちなみに、御殿には通常の門の他に勅使門という門もあります。

勅使の門ですので、われわれが通行することはできません。

こちらは大正2年(1913年)に竣工。

 

 

ちょっと、長くなりましたので・・・

次回は仁和寺の御殿以外の紹介をします。