【ま】松が岬公園(まつがさきこうえん)〔前編〕 ;~行くぜ、東北。な旅~山形編⑥ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

昨年12月22日~24日の三連休に山形県旅行に行ってきました!

二日目は、山形市から新幹線でちょっと移動しまして・・・

米沢へ!

米沢に行ってからは、まず松が岬公園に行ってきました。

 

松が岬公園・・・

米沢城址で、本丸および二ノ丸の東半部くらいが公園として整備されています。

米沢城は、長井時広(大江広元の次男)が長井庄地頭となり、この地に暦仁元年(1238年)に築城した松岬城が始まりのようです。

康暦2年(1380年)に伊達氏8代の宗遠が長井氏を滅ぼして長井庄を領し、15代 晴宗が天文17年(1548年)米沢城に移っています。
ちなみに、17代 政宗はこの城で生まれたそうです。

慶長3年(1598年)より上杉領となり、当初は家臣の直江兼続の城でしたが、関ヶ原の戦いでの敗戦により上杉氏は減封となり、上杉景勝が城主となってます。

明治の版籍奉還まで上杉氏の居城でしたが、その後に取り壊され、公園となったようです。

 

 

公園へはバスで移動・・・

最寄りバス停は公園の東にありますので、東からアプローチ・・・

東からお城の本丸だったエリアを目指します。

 

まず、米沢藩9代藩主の上杉鷹山(治憲)の像が見えました。

上杉鷹山は高鍋藩主の秋月氏の出ですが、養嗣子に迎えられ、後に藩主となってます。

莫大な借金を抱えた米沢藩の財政を立て直したり、善政を布いたことで有名で、J・F・ケネディが尊敬していたという逸話があるそうです。

像の近くには上杉鷹山を祀る松岬神社があります。

鷹山の他に、上杉景勝、直江兼続なども祀られてるそうです。

 

さて、松岬神社前から本丸方面を見ますと、真っすぐな道が伸びています。

実は、本丸跡には上杉謙信を祀った上杉神社があり・・・

この真っすぐな道は、その参道になります。

参道の奥に、「毘」と「龍」の旗が見えるかと思います(裏返しになってますが・・・)。

二つの旗の手前は堀になっており、その堀を越えると本丸跡へ辿り着きます。

 

堀を渡り、そのまま参道を進んでいきますと・・・

参道脇に「天地人」と表示された像がありました。

NHK大河ドラマ「天地人」の主人公の直江兼続と その主人の上杉景勝の像です。

参道から少々離れますが、天地人の像の奥には家祖である上杉謙信の像が設置されてます。

また、天地人の像の向かい側には伊達政宗生誕の地という石碑があります。

上杉領となる前に、伊達領だった時代があり、その時に政宗が生まれたようです。

そして、その石碑の脇には、またしても上杉鷹山の像がありました。

まぁ、鷹山は善政を行ってますし・・・

謙信や景勝は米沢と言うより越後のイメージですから・・・

鷹山の像が多いのは、しょうがないんでしょうね。

 

そして、米沢城本丸跡の西エリア・・・上杉神社に着きました。

越後国の戦国大名である上杉謙信は急死した際に、越後の春日山城内の不識庵に遺骸が祀られたそうです。

謙信の後を継いだ景勝は越後→会津→米沢と移封されますが、その際も謙信の遺骸を移し、米沢でも祠堂(御堂)を建てて安置させたそうです。

明治になって廃城令に従い、米沢城が解体され、謙信の遺骸は城外の上杉家廟所へ移されてます。

但し、城域にとどまってる謙信の霊を祀るため建てたのが上杉神社のようです。

また、上杉鷹山も一緒に上杉神社に祀られていたそうですが、鷹山は分祀され、松岬神社へと遷っています。

松岬神社は上杉神社の摂社になるそうです。

 

ちなみに、本丸跡の東南端が小高い丘のようになっており・・・

そこを上がると、石碑が建っています。

この場所が上杉謙信祠堂(御堂)跡で、謙信の遺骸を安置した場所だったようです。

 

上杉神社の境内をもどってみますと・・・

社殿の脇には、稽照殿という宝物館があります。

直江兼続の「愛」の前立ての甲冑や、上杉謙信や景勝の甲冑も所蔵されてるそうです。

残念ながら、冬季は閉鎖してるようで、見れませんでした・・・。

 

また、、上杉神社の南に摂社の春日神社があります。

上杉謙信が越後の春日山城に、大和の春日大社から分霊して春日神社を創設。

その後、景勝の移封に伴い、米沢にも移転。

米沢の別な場所にあったそうですが、現在は上杉神社の境内に移されたそうです。

 

同じく境内にある摂社の福徳稲荷神社は、上杉神社の北にあります。

6代藩主の上杉宗憲が二ノ丸に勧請したのが始まりになるそうです。

 

 

米沢城の本丸跡の上杉神社を中心にその摂社なども見て、松が岬公園からいったん離れました・・・。

 

(山形編米沢の巻・・・続く)