【な】仲町伝統的建造物群保存地区(なかちょうでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく) ;青森編⑩ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

11月の三連休の青森観光の三日目・・・

弘前城を回った後に、その周辺の北エリアも回ってみました。

それが、弘前市仲町伝統的建造物群保存地区です。

 

 

仲町伝統的建造物群保存地区・・・

弘前は、慶長8年(1603年)に津軽藩初代藩主・津軽為信が計画し、2代・信枚によって慶長16年に築かれた城下町です。

現在の弘前城の追手門(表門)は南側にありますが、4代・信政によって変更されるまでは現在の北門(亀甲門)が追手門で、お城は正面を北に向けて構えていたそうです。

その追手門の守護のため、藩の重臣をの師弟を北の数ヶ町に配置したそうで、その一つが仲町です。

現在も藩政時代に建築された武家住宅がいくつか保存され、伝統的な町割りの景観を今に伝えてます。

保存地区の道は一定の広さで続き、建物も高さ規制があるようで 高い建物はありません。

落ち着いた良い雰囲気の街並みです。

 

現在、旧伊東家住宅、旧梅田家住宅、旧笹森家住宅、旧岩田家住宅の4棟が弘前市に寄贈され、この地区に移築・復元され、無料で公開されています。

それらを回ってみました。

 

 

旧伊東家住宅

県重宝です。

藩医を務めた伊東家の居宅として、約200年前(19世紀初期)に元長町にあったものを移築・復元したものです。

石高100石前後の中級武士の居宅と似た構造らしいです。

あとで紹介する武家住宅の武家に比べ、ここの家格の方が高かったようです。

 

 

旧梅田家住宅

旧伊東家住宅のすぐ裏にあります。

嘉永年間・・・約160年前の江戸時代末期の武家住宅です。

在府町にあったものを移築・復元したものです。

伊藤家に比べ、天井がないところなんかも、下級武士の住宅の特徴のようです。

 

 

旧笹森家住宅旧弘前藩諸士住宅

重要文化財です。

宝暦6年(1756年)の「武家中屋敷舗建屋図」に佐々森(笹森)傳三郎の家として記載されているそうです。

仲町地区の別な場所にあったものを移築・復元したものです。

保存地区内で最古の武家住宅になるそうで、全国的にも遺例の少ない同時期の遺構になるそうです。

甲冑が置いてありますが、下級武士に当たるので、本当はこのようなものを飾る身分ではなかったように思えます。

 

 

旧岩田家住宅

県重宝になります。

寛政年間末から文化年間に建てられた武士の住居です。

その後、数回改築後に、明治時代に岩田家が入居されたようです。

岩田家自体は上杉謙信に仕えた岩田大善吉勝が初代で、4代の衛門兵衛惠孝から津軽藩に仕えたようです。

ここももともとは家格は高くはなく、甲冑は飾るようなレベルではなかったようです。

管理されてる方が、雰囲気づくりと言ってました。

 

 

 

 

他に、このエリア周辺に古い建物や趣のある建物もありましたので、そちらもご紹介します。

 

 

石場家住宅

重要文化財です。

津軽藩政時代に雑貨荒物を取り扱っていた豪商の家です。

津軽地方の数少ない商家の遺構を残し、重要なものです。

お城の北門(亀甲門)の向かい側にあります。

 

 

川﨑染工場

1800年頃の建築です。

寛政年間に創業した染物屋です。

 

 

津軽為信像

津軽藩初代藩主・津軽為信の像が弘前城東門の近くの弘前文化センターに設置されています。

 

 

旧弘前市消防団西地区団第四分団消防屯所

弘前城の西濠の北端にあます。

昭和8年頃建築。

火の見櫓のある洋風の外観が特徴。

当時の名士の寄付によって建築されたそうです。

 

 

カトリック弘前教会

弘前文化センターの東方に位置します。

明治43年建築になります。

津軽藩のお抱え大工・堀江家・・・その5代堀江佐吉の弟・横山が施工したものです。

ロマネスク様式の木像が特徴です。

 

 

 

・・・と言うことで、青森観光は弘前を回って終了としました。

でも、弘前は趣のある建物が他にもあって、ちょっと時間が足りなかったのが残念です。