【ふ】文士(ぶんし) ~前編~ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

文士・・・

文筆に従事する人。文人。文章家。

 

 

 

12月1日に、文京ふるさと歴史館にて、「ねこの細道さんぽ道」というのを見てきましたが・・・

これに触発されて、この近辺を散歩してきました。

 

この辺は文京区の本郷なのですが・・・

文士関係のスポットが多いんですよね・・・

まさに「文の京(みやこ)」です。

 

回ってきた文士関連スポットを紹介したいと思います。

(ちなみに、実際に回った順番とは異なります)

 

 

石川啄木

 

赤心館跡(本郷5-5-16)

明治41年(1908年)、郷土の先輩・金田一京助を頼って上京した啄木が4ヶ月ほど住んでます。

 

蓋平館跡(本郷6-10-12)

赤心館の下宿代の払えなかった啄木は、京助の手助けでここに移り住んでます。

新坂近くの3階の3畳部屋だったそうです。

 

喜之床跡(本郷2-38-9)

明治42年、新築間もない床屋・喜之床の2階2間を借間に引っ越してます。

朝日新聞の校正係の定職を得て、家族を迎えて供に住んだようです。

「はたらけど はたらけど 我が暮らし楽にならざり」等の作品は、この地で生み出されています。

 

 

樋口一葉

 

菊坂の家(本郷4-32-7)

本当は、この道の先に一葉が住んでいた家の跡があったようですが・・・

見ての通り私道で工事中のため、住人以外はNGでした。

父である樋口則義の病没翌年、明治23年(1890年)に母たき、妹くにの三人所帯で、この地に引っ越してきたようです。

菊坂という坂の途中の路地になります。

 

旧伊勢屋質店(本郷5-9-4)

菊坂下にある質屋で、貧しい生活の一葉一家が利用していたそうです。

一葉の日記にもしばしば書かれてるようです。

万延元年(1860年)創業で、昭和57年(1982年)まで営業していたようです。

現在は文京区指定有形文化財に指定され、土・日の午後に公開され、無料で中に入れます。

 

終焉の地(西片1-17-8)

本郷の住居を離れた一葉は、竜泉(吉原近く)に10か月住んだ後、明治27年(1894年)にこの地に移ってます。

うなぎ屋の離れで、6畳2間と4畳半の3間だったそうです。
「にごりえ」「たけくらべ」など代表作が数々生まれたそうでが、結核のため24歳の若さでこの地で生涯を閉じた。

 

後で知りましたが、本郷にある法真寺(本郷5-27)というお寺の東隣が、一葉が4歳~9歳まで過ごしていた場所のようです。

 

 

夏目漱石

 

漱石と魯迅の家跡(西片1-12)

明治39年(1906年)12月に漱石はこの地に転居したそうです。

9ヶ月間ほど住んでいて、「虞美人草」を発表・連載したそうです。

また、明治41年4月に魯迅が友人ら5名で、この地に10か月ほど住んでいたそうです。

 

三四郎池(本郷7-3)

東京大学本郷キャンパス内にある池で、加賀藩前田家の上屋敷時代は育徳園という庭園の心字池と呼ばれる池でした。

漱石の作品「三四郎」に出てくる舞台であり、それ以来 三四郎池と呼ばれるようになったそうです。

 

 

 

まだまだ本郷の文士スポットありますが・・・

思いの外、記事が長くなってしまったので・・・後編に続く。