<覇道の男>シリーズ鎌倉名数③(2017/12/2) ;鎌倉散歩2017年11-12月(12) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使わせていただいてます。

 

名数・・・

同類のものをいくつかまとめ、上に数字つけて呼ぶ呼び方。

数字を物事に添えて讃える制度。

(例)三筆、四天王、五山、七福神、八景、十哲

 

 

 

 

2017年の11月~12月は大き目な旅に出ることはなく、日帰りを中心にプチ旅行・・・

そのうち11月4日、11月25日、12月2日に鎌倉日帰り旅行をしてきました。

12月2日は、北鎌倉を散歩・・・

長寿寺、建長寺がメインでしたが・・・

他に鎌倉の名数のスポットの一部も回ってました。

そちらのご紹介です。

 

 

建長寺に回った後は、円応寺というお寺を訪問しました。

建長寺の境外塔頭です。

建長2年(1250年)、智覚禅師(建長寺開山の蘭渓道隆の弟子)により創建。

本堂には御本尊の閻魔大王坐像を始めとする十王像が並んでいます。

閻魔像は運慶作と言われてます。

こちらは、鎌倉十三仏霊場の一つ。

十三仏信仰は室町時代に成立されたと言われ、十王思想を発展させた日本独自の信仰のことです。

円応寺は五番札所で、閻魔王の本地とされる地蔵菩薩が十三仏の一つです。

 

 

ちなみに・・・

11月4日に訪問した本覚寺十三仏霊場の一つでした。

こちらは三番札所で、宋帝王の本地とされる文殊菩薩が祀られてます。

そして、本覚寺の夷堂に夷神(恵比寿神)が祀られていまして、そちらが鎌倉七福神の一つでした。

名数に上げ忘れたので、ここでアップしておきます。

 

 

あと、12月2日に行ったのは、鎌倉七口のうち二つの切通を見てきました。

要塞都市である鎌倉の交通路として、掘削された七つの古道のことです。

 

一つは、亀ヶ谷坂切通(かめがやつざかきりどおし)です。

長寿寺から南へ下る急な坂です。

昔はもっと急だったようで、亀が頂上まで上がりきらず引き返したことから「亀返り坂」とも呼ばれていたそうです。

上の画像では急な感じが分かりずらいので、切通の壁面を撮ってみました。

・・・急ですよね。

源頼朝はこの切通を通って、初めて鎌倉に入ったと言われてるそうです。

 

もう一つは、巨福呂坂切通(こぶくろざかきりどおし)です。

第2代執権 北条泰時が自分の所領との利便のために、仁治元年(1240年)に造らせたと言われています。

巨福呂坂は、鶴岡八幡宮の裏参道あたりから円応寺方面へ上がっている坂です。

上の画像は、その坂の下になります。

上の画像の右の道を進んでいくと、青梅聖天社という神社があります。

その神社の参道を上がって行くと巨福呂坂が続くそうですが、その先は私有地になり、行き止まりになってるそうです。

ちなみに、現在は巨福呂坂洞門という新道が近くを通っていて、現在の北鎌倉と鎌倉の中心街を結んでいます。

また、脇の閉鎖された小トンネルは巨福呂坂送水管路ずい道で、明治後期から大正期にかけて作られた送水菅路の跡らしいです。

 

 

あとは既に記事にしましたが・・・

建長寺は鎌倉五山の第一位・・・

その建長寺 梵鐘は、鎌倉三名鐘四大古鐘の一つです。

 

 

 

【制覇した鎌倉名数】

・三名鐘(2):建長寺梵鐘、円覚寺洪鐘

・四大古鐘(2):建長寺梵鐘、円覚寺洪鐘

・五山(3):建長寺、円覚寺、浄智寺

・尼五山(2):(大平寺)、東慶寺

・五名水(1):甘露水

・七口(2):亀ヶ谷坂切通、巨福呂坂切通

・七福神(3):浄智寺(布袋尊)、旗上弁財天社(弁財天)、本覚寺(恵比寿神)

・十井(3):鐡の井、甘露の井、瓶の井

・十橋(3):夷堂橋、筋違橋、十王堂橋

・十三仏霊場(3):本覚寺(文殊菩薩)、円応寺(地蔵菩薩)、浄智寺(弥勒菩薩)

 

 

2017年11~12月の鎌倉日帰り旅行はこんなところで、終了です。