<覇道の男>国分寺/国分尼寺 編(10);常陸国分寺・国分尼寺 ;茨城県南プチ旅行⑦ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。
そんな「制覇の道」・・・国分寺や国分尼寺を回ってみる
国分寺/国分尼寺編も実施中です!

(国分寺/国分尼寺・・・741年に聖武天皇が国家鎮護のために日本各国に建立を命じたお寺です)

 

 

 

9月30日~10月1日の土・日で、つくばに泊まりまして・・・

そこを拠点に茨城県南をプチ旅行をしてきました。

 

9月30日に筑波宇宙センターの特別公開をやっておりまして、そちらに行ってきまして・・・

翌日の10月1日は、レンタカーで石岡市に行ってきました。

 

石岡市には、かつて常陸国の国府が置かれていた土地です。

そんなこともありまして、石岡市には常陸国分寺・国分尼寺があったそうです。

 

 

 

まずは、いしおかイベント広場の駐車場にレンタカーを停めまして・・・

そこを見てみますと・・・

どうもこの広場は国分遺跡という遺跡みたいです。

説明を見ると、国分寺の寺域に位置する場所で、奈良時代後期から平安時代の住居跡が見つかってるそうです。

現在は、ただの広場になってますが・・・

この下に遺構があるんでしょうね。

 

 

 

その広場から歩いて数分のところ・・・

浄瑠璃山東方院国分寺というお寺があります。

ここは、聖武天皇の詔によって建てられた常陸国分寺の後継寺院になるようです。

現在は真言宗智山派のお寺です。

 

ちなみに、本堂後方には都々一坊扇歌堂というお堂があります。

都々逸の創作者・都々逸坊扇歌が石岡市で没したことから、記念として建てられたお堂に当たるそうです。

 

実は、現在のこの国分寺は、聖武天皇の頃の国分寺と寺域が重複しています。

つまり、ここが常陸国分寺跡になるわけです。

実際に、現在の国分寺の入り口近くが、かつての中門跡に当たるようでした。

 

中門跡から真っすぐ行きますと、現在の国分寺の薬師堂があります。

そこが、かつての金堂跡だったようです。

薬師堂の裏手には、旧金堂の礎石が残っていたりします。

 

また、中門跡から金堂跡の延長線上・・・

先ほどの都々一坊扇歌堂の裏手に、講堂跡があります。

ここには、旧講堂の礎石なども見られました。

 

後継寺院が別な場所に移っていたら、遺跡として整備できるのでしょうね・・・。

 

 

 

ちなみに、常陸国分寺跡の北西600m程度のところに、常陸国分尼寺もあります。

(地図ご参照)

 

 

 

もちろん常陸国分尼寺跡にも行ってきました。

こちらは見ての通りの後継寺院は建っておりませんので、史跡公園のような形で広場となっています。

 

回廊跡らしきところは、石畳となっていたり・・・

建物の礎石跡らしきところには、こんもりと枯草が敷きつめられていたり・・・

 

国分寺跡より、昔の建物の位置などが分かりますが・・・

他の国の国分寺・国分尼寺跡と比べ、整備発展途上かもしれません。

 

 

 

石岡市には、かつて常陸国府もあったそうですので、そういったものとまとめて、古代常陸国の遺跡をもっと整備し、もっとアピールした方が良いような気がします。

 

ちなみに、茨城県南プチ旅行は、常陸国分寺跡・国分尼寺跡の訪問で終了としました。

 

 

<国分寺>
畿内:大和
東海道:三河、伊豆、相模、武蔵、下総、常陸
東山道:信濃、下野、陸奥
山陰道:出雲
山陽道:播磨、安芸
西海道:筑前

<国分尼寺>
東海道:三河、伊豆?、相模、武蔵、下総、常陸
東山道:信濃、下野
山陰道:出雲
西海道:筑前