【ひ】平泉(ひらいずみ);~岩手「炎立つ」な旅(6) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

11月3日~6日に有給を使いつつ、4連休にしました。

宿を岩手県北上市に取りまして、そこを拠点にして・・・

前九年の役から奥州藤原氏滅亡までを描いた作品(NHK大河ドラマ・小説)「炎立つ」の舞台となった岩手を観光することに決めました。

二日目は、今回の旅の主目的である平泉に行ってきました。

 

観自在王院跡、毛越寺、中尊寺については、既に記事に書きましたが・・・

それ以外に回ったところを書いていきたいと思います。

 

 

中尊寺からバスで高館へ移動しました。

高館は北上川に面した小高い丘で、「判官館」とも呼ばれてます。

源頼朝から追われた源義経が、奥州藤原三代の秀衡の庇護のもと、この高館に居館を与えられています。

その義経ですが、秀衡の死後に藤原四代の泰衡の急襲を受け、この地で自害したといわれています。

丘の頂上には義経堂というお堂が立っています。

伊達四代藩主の綱村が義経を偲んで建てたものであり、義経の木造が安置されています。

この丘からの眺望はいいですよ。

お堂から離れたところですが、「夏草や兵どもが夢の跡」の芭蕉の句の石碑があります。

 

高館から東南へ数百mのところに柳之御所遺跡がありましたので、歩いて行ってみました。

柳之御所は奥州藤原氏の政庁である平泉館の跡と考えられているところです。

初代 清衡が平泉へ移って居館をかまえたところであり、三代 秀衡が政庁とするため再整備したとされてます。

上の画像の奥に見える丘が、先ほどの高館です。

発掘によって、堀や井戸、掘立柱建物の遺構や多量の土器、陶磁器などが見つかっているそうです。

現在、史跡公園として整備中で、園池などが一部復元されています。

史跡公園から少々離れていますが、資料館があり、この遺跡の紹介や出土品などが展示されています。

公園の外ですが、西の方に延びる道の遺構が見つかってるそうです。

道は無量光院という寺院に向かって伸びていたようです。

 

ということで、その無量光院跡に徒歩で向かいました。

柳之御所からは直線距離で200m程度のところにあります。

無量光院は三代 秀衡が建立した寺院です。

京都の平等院を模した寺院で、池の中島には阿弥陀堂があったそうです。

清衡の中尊寺、基衡の毛越寺、秀衡の無量光院と言われてますので、規模も大きかったようです。

池を中心に整備されてるのですが、現在は芝を定着させるため、敷地内に入ることができません。

ということで、カメラのズームで見ることしかできなく、ちょっと残念でした。

池が復元されてるほかに、礎石や土塁が残ってるそうです。

ちなみに、無量光院跡は世界遺産に登録されています。

 

駅へ向かって歩いてる途中で、柳之御所の南、無量光院の東南のあたり・・・

現在は民家だらけですが、伽羅御所跡との看板がありました。

秀衡が柳之御所が政庁 平泉館として大改修した際に、柳之御所の南に伽羅御所を建てたと考えられてるそうです。

四代 泰衡の代まで居館として使用されてたそうです。

遺構らしきものもあるらしいですが、民家が密集しており、詳しく探すことはできませんでした。

 

 

以上、これまで4回の記事で紹介したところが、平泉で回ってきたところです。

本当は、金鶏山と呼ばれる山にも行ってみたかったのですが、時間の関係で行けなかったのがちょっと残念です。

金鶏山は平泉で信仰の対象なっている山で、世界遺産に登録されてるんですよね・・・

ちょっと残念・・・。