後半の9月23日(金)に休みを取って、四連休にして・・・
広島に行ってきました。
この旅の三日目は、宮島に行ってきました。
すでに嚴島神社の記事は書きましたので・・・
嚴島神社以外で回ったところをアップしていきたいと思います。
まず、宮島ですが・・・

鹿があちこちにいまして・・・
ある程度お掃除されてるのですが、鹿の糞が落ちてまして・・・
けっこうトラップ状態です。
気をつけてください。
まず、宮島桟橋からすぐ近くの要害山と呼ばれる小山を登りました。

この小山を中心に宮尾城というお城を築かれていたそうです。
毛利元就はこのお城に兵を入れ、大敵の陶晴賢の軍を厳島(宮島)におびき寄せ、奇襲で討ち果たしてます。
いわゆる厳島の戦いになります。
その後、嚴島神社の参道を進み、嚴島神社のすぐ北側の丘へ・・・
そこには豊国神社があります。

1587年に豊臣秀吉が安国寺恵瓊に命じて建立した大経堂ですが、秀吉の死によって未完のままになってるそうです。
中はひじょうに広く、そのためここは千畳閣とも呼ばれてます。

ちなみに、実際は畳857枚分になるそうです。
そうそう、小高い所にあるので、嚴島神社の社殿が眼下に見え、遠くに山々が見えて、景色が良いです。
豊国神社に隣接して建てられてるのが、五重塔です。

こちらは1407年の建立と言われてます。
厳島の戦いでは、陶晴賢が本陣を構えたと言われてるそうです。
この後、嚴島神社を拝観しまして・・・
拝観後は、嚴島神社出口近くの大願寺というお寺へ。

開基不明ですが、1200年頃に了海というお坊さんが再興されたと言われてます。
秘仏の厳島弁財天は弘法大師 空海の作と言われてるそうです。
嚴島神社の西に位置する清盛神社へ。

嚴島神社の裏手を流れる御手洗川によって運び出された土砂や浜辺に堆積した砂を築固めのが「西の松原」と呼ばれるエリアです。
そこに清盛の没後770年を記念し建てられたのが、この神社になるそうです。
その後は、大願寺の南側の丘にある多宝塔へ。

1523年建立と言われてます。
厳島合戦では、陶晴賢が真っ先に陣所を設けた場所らしいです。
その後、多宝塔の麓にある宝物館でいろいろな資料を見まして・・・
そこから南へ数百m・・・弥山登山入り口あたりにある大聖院へ。

806年に弘法大師が弥山を開基したのに始まると言われてます。
天下統一を果たした豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催したことがあるそうです。
この後、弥山を登ることにしましたが・・・
登山道から行くつもりはなく、ロープウェイで弥山を登ることにしました。
弥山の記事は、次回にでも・・・。

ちなみに、大聖院からロープウェイ乗り場へ向かう最中に、茶屋に立ち寄りましたが・・・
そこからの景色が上の画像で、とても素晴らしかったです。