出張などで、目的の仕事がある日の前日から現地入りすること。
月曜日の朝から京都にてお仕事がありまして・・・
月曜当日の早朝移動は移動はツラいので・・・
日曜日に京都に入ることにしました。
でも、せっかく日曜に京都に入るなら、ちょっと観光のできる時間に入ろうかな・・・
ということで、日曜日の約半日を使い、ほんのちょっとだけ観光して参りました。
京都に関しては、このブログをやる以前からちょこちょこと行ってまして・・・
今まで行ってないとこを行ってみようと思いまして・・・
龍安寺に行ってきました。

龍安寺・・・
もともと大徳寺家の別荘を、1450年に室町幕府管領の細川勝元が譲り受け、禅寺を建立したのがはじまりになります。
その後、応仁の乱で焼失するも、勝元の子の政元が1499年に再興してます。
残念ながら、龍安寺の建物を上手く撮れるスポットがありませんでした・・・
そんなわけで、有名な方丈の石庭を見ていただきましょう。

室町末期に作庭されたと言われてますが、実際の年代も作者も不明とのことです。
15個の石が配置されてますが、東から西へ向かって、5・2・3・2・3と配置されており、「七五三の庭」と呼ばれてるそうです。
また石の配置の妙から「虎の子渡しの庭」とも呼ばれてそうです。
「虎の子渡し」は中国の故事です。
虎が三匹の子を生むと、一匹が彪で他の子を食おうとするので、川を渡るときに親はまず彪を対岸に渡し、次いで他の一匹を渡してから彪を連れ帰り、次に残る一匹を渡し、最後に彪を渡したという故事です。
確かに、そんな感じにも見えますね。
こうやって、庭だけを見てますと、雰囲気がよく、いろいろな解釈のできる奥深い庭のですが・・・

実際には観光客が多くて・・・
静かに見れないのが残念なところです。
方丈の縁側は、石庭を見るため客が多いのですが・・・
後ろを振り向くと襖絵があり、そちらは比較的ノーマークの人が多いです。

石庭は静かに見れないので、こちらを堪能するという手もありかもしれません。
方丈の裏手には知足の蹲踞(つくばい)と呼ばれるものがあります。

見えにくいと思いますが、銭型の蹲踞(手水鉢)には、上から時計回りに五・隹・疋・矢の文字があります。
その中心に、銭型の□(四角)の穴があり、五・隹・疋・矢の文字と組み合わせますと・・・
「吾唯足知」となり、「われ、ただ足るを知る」になります。
こちらの蹲踞は水戸光圀の寄進と言われてます。
また、境内の南に広がる鏡容池という大きな池が広がっており、回遊式庭園となっているのでそちらも見どころです。



こちらの池は、大徳寺家によって築かれたものになります。
弁天島、水分石といったものが池の中にあります。
他に見物できるところとしては、ビルマ戦の戦没者の慰霊塔であるパゴタ、分骨堂などがあります。


さて、この龍安寺・・・
こちらの境内の奥の裏手に行きますと、天皇陵があります。
それは、別記事にてご紹介しましょう。