【く】グラバー園(ぐらばーえん);長崎旅行(11) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

3月の三連休で、長崎に行ってきましたが・・・
三日目の続きです。


三日目は南山手に足をのばしました。
大浦天主堂に行った後・・・隣接するグラバー園に行きました。


グラバー園・・・
安政の長崎開港後に長崎に移住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内の他の歴史的建造物を移築した観光スポットです。
ここのうち旧グラバー住宅が、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして登録されてます。

敷地内は、一番の高台へ動く歩道で登って行き、敷地内にある建物を低い方へ順番に回っていきます。
それらの建物を紹介しています。


旧三菱第2ドッグハウス

改修工事中で見学できませんでした。
船が造船所に入ってる間の宿泊施設です。
明治29年に造られた洋風建築で、それを移築したものです。


旧長崎高商表門衛所

官立高等商業学校(現・長崎大学経済学部)創立時の表門衛所を移築復元したものです。


旧長崎地方裁判所長官舎

移築されてますが、もともとは明治16年に外国人居留地の外に建てられたものです。
居留地の外側に建てられた洋風官庁建築として唯一残るものです。


旧ウォーカー住宅

ウォーカー商会を設立したロバート・ネール・ウォーカーJrの旧邸です。
明治中期に大浦天主堂のすぐ隣に建てられたものを移築したものです。


旧リンガー住宅

国指定重要文化財です。
グラバー商会の幹部のフレデリック・リンガーの住宅で、木骨石造の建物です。
フレデリック・リンガーの死後は、次男のシドニー・アーサー・リンガーが住んだそうです。

旧オルト住宅

こちらも国指定重要文化財で、長崎に残る石造り洋風住宅で最も大きいものです。
居住者のウィリアム・ジョン・オルトはイギリス人商人で、南山手と大浦に製茶所をもっていたそうです。
後に隣人のフレデリック・リンガーによって購入され、その死後は長男のフレデリック・エラスムス・エドワード・リンガーが住んでます。


旧スチイル記念学校

明治20年建築の建物を移築したものです。
アメリカの外国伝道局長スチイル博士が、亡き息子を記念して寄付した資金で創設したものです。


旧自由亭

明治11年に作られた西洋料理店「自由亭」の建物を移築したものです。
前身はは、若宮稲荷神社の近くにあり「良林亭」という名前の西洋料理店で、薩摩藩士・五代友厚の薦めで草野丈吉が江戸時代末期に創設してます。
五代さんが関係してるのを後で知って、びっくりぽん です。


旧グラバー住宅

国指定重要文化財、そして世界遺産です。
現存する日本最古の木造洋風住宅になります。

居住者のトーマス・ブレーク・グラバーはイギリス人商人で、グラバー商会を設立者です。
茶や絹の輸出と武器の輸入などに従事し、薩摩藩・長州藩の討幕派の支援をしたようなイメージですが・・・
実際には討幕派だけでなく、佐幕派や幕府にも武器を販売してたそうです。


これらの建物の他にも、居留地時代の境界柱、フリーメイソン集会場の門を移設したもの、いろいろなアイテムがあります。






<おまけ>

グラバー園の一番の高所から長崎港がよく見えます。



対岸のドックなんか機械的で、それが好きで眺めてましたが・・・



・・・ん!!



護衛艦だ!!