長野市と言えば・・・
やっぱり善光寺ですよね。
善光寺・・・
創建は飛鳥時代と言われる、特定の宗派には属さないお寺です。
御本尊の絶対秘仏である一光三尊阿弥陀如来は、天台宗と浄土宗の僧が共同で守ってるそうです。
この御本尊は、仏教伝来の折に百済の聖明王から献呈された仏と言われてます。
これが崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の争いの中で、物部守屋によって難波堀江に捨てられます。
その後、本田善光という人物が水中から発見し、信濃国に安置・・・
これが現在は元善光寺と呼ばれるお寺の始まりになります。
更にその後に、朝廷の命で現在の善光寺のある場所に遷されたとのことです。
但し、戦国時代には、大名の争いの中、この御本尊は各地を転々とした経緯もあるようです。
御本尊自体は、お寺の住職ですら目にすることはできないそうで・・・
本堂の瑠璃壇の厨子内に安置されているそうです。
時々、限られた時間に瑠璃壇の戸張が上がり、瑠璃壇と厨子までを拝むことはできます。
七年に一度の御開帳は、御本尊の分身として金銅阿弥陀如来及両脇侍立像が絶対秘仏が公開されることを指してます。
さて、そんな善光寺ですが・・・
この旅の1日目と3日目の2回行っております。
記事の方は、1日目と3日目をまとめた形で展開していこうと思います。
今回は、参道についてです。
JR長野駅前あたりから善光寺に一直線北に延びる中央通りと呼ばれる道があります。
これが表参道になるようです。
私は、大門南と言う交差点からあたりから参道に入りましたが・・・

こんな感じのオシャレな道になってるんですよね。
でも、バスとか車とかも通りますよ。
途中にある建物もレトロな感じで、いいですよ♪
それをいくつかご紹介!
途中にある銀行・・・

大正13年からの営業で、その当時の店舗を再現したものらしいです。
こちらは郵便局・・・

こちらは昔 営業してた旅館の旧館を借りてるようです。
こちらは、とある旧旅館・・・

現在は結婚式場、レストランらしいです。
昔は本陣だったようです。
参道を北上して行くと、善光寺という交差点が出てきます。

この先から車は進入できません。
この交差点には長野市道路元標がありました。
ここが起終点なんですね。

ちなみに、ここから奥の参道は石畳になってます。
石畳に入って左手に大本願があります。

642年に蘇我馬子の姫が天皇御杖代としてここに遣わされたのが起こりとのことです。
創建以来、尼公上人をもって住職とし、代々皇室関係の方々が入山されているそうです。
石畳の参道を北上すると、仁王門に行きつきます。

1752年建立、1864年に再建されますが、明治24年に焼失・・・
現在のものは大正7年に再建されたものだそうです。

仁王像は高村光雲とその弟子によるものなります。
仁王門の先の参道は仲見世通りになります。

お土産、仏具店、飲食店、旅館などが軒を連ねる通りになります。
仲見世通りは駒返り橋というところまで続きます。
そして、そのちょっと先が山門(三門)になります。

ここから先が、本格的な寺域になります。
この先は、また別な記事にて・・・(続く)