【と】豊川(とよかわ);三河旅行(6) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

今年は、徳川家康没後400周年ということで・・・
シルバーウィークに愛知県の三河エリアを旅行してきました。
三河は家康の最初の領国ですからね。



四日目は、まず豊川に行ってみました。


「豊川」と言いますと、やはり豊川稲荷が有名です。



日本三大稲荷の一つに数えられてるそうです。
実際には ここは神社ではなく、お寺で、豊川閣 妙厳寺が正式名称とのこと。
境内の鎮守として祀られた吒枳尼天が神仏習合で稲荷神と同一視され、「豊川稲荷」と呼ばれてるようです。



上の画像は山門で、境内で一番古い建物になります。
あの今川義元が寄進したものです。

鳥居の向こうに、お寺・・・妙な光景と言えば、妙ですよね。



鳥居の右脇には法堂があり、千手観音菩薩が祀られてるはずなんですが・・・
現在は法堂が解体工事中で、見ることができません。
奥は本殿になります。



その本殿に、吒枳尼天が祀られてるそうです。

本殿の奥には千本旗と呼ばれる幟で挟まれた細い道が続きます。



この奥には、奥の院や霊狐塚などがあります。



霊狐塚には多くの狐像が安置されています。
なかなかの壮観です。



豊川に関しては、豊川稲荷だけを見て帰るつもりだったのですが・・・
豊川市内に「国府(こう)」と言う駅があることを知りまして・・・
これは、三河国府があったところだろうと予想してみますと・・・
その近くに三河国分寺跡、三河国分尼寺跡が歩いて行ける距離にあることを発見。
(と言っても、かなり歩かされましたけどね・・・)


こちらが、まず三河国分尼寺跡です。



見ていただいての通り、門などが復元されてまして、歴史公園としてかなり整備されてました。

そして、こちらが三河国分寺跡です。



三河国分寺というお寺自体は健在で、かつての旧国分寺の金堂跡に位置するそうです。
現在は曹洞宗のお寺になるそうです。
残念ながら、旧国分寺の他の敷地跡は整備されておらず、草がかなり覆い茂ってました。

他のところですと、国分寺跡の方が整備されてて、国分尼寺跡は手が付いてないパターンがおおいのですが・・・
三河国の場合は、逆でした。



と言うことで、国分寺・国分尼寺を見て、豊川を後にしたのでした。