【や】山本五十六(やまもといそろく);長岡プチ旅行(5) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

長岡プチ旅行の話に戻ります。



この長岡では、過去に二人の優秀な武人が生まれています。

その一人が、以前にご紹介した幕末の長岡藩家老の河井継之助であり・・・

もう一人が大東亜戦争時の連合艦隊司令長官である山本五十六です。


山本五十六の父である高野貞吉は、河井継之助の指揮の下で北越戦争を戦った生き残りになるそうです。

海軍兵学校に進んだ五十六は、海軍大学時代に旧長岡藩の名家である山本家を継いでます。

この山本家は、北越戦争時に次席家老であった山本帯刀が力戦してますが、降伏すれば助命するという明治政府軍の勧告を蹴って、斬殺された人物です。

その山本帯刀の名跡を継ぎ、五十六が山本家を再興した形になったようです。


直接の接点はなかったかもしれませんが・・・

この長岡の武人二人には、こういった接点が見られます。




それと関係あるのか、ないのか分かりませんが・・・

河井継之助記念館から西へ数分すすむと、山本五十六記念館があります。



山本五十六の生涯を紹介し、関連した資料等が展示されてます。

記念館の中央には、ブーゲンビル島で撃墜された山本五十六搭乗機の左翼が展示されてます。




記念館から南に向かってちょっと歩きますと、山本記念公園と言う公園があります。



ここは山本五十六の生家があった場所になるそうです。

そんなわけで、復元された生家が敷地内にありました。



本当の生家は空襲により焼失してるそうです。



また、山本五十六の銅像もあります。




この後、北の方へ十数程度、かなり歩きましたが・・・

長興寺というお寺を訪ねてみました。



山本家の菩提寺になるそうで、五十六のお墓のある場所になります。


全く関係ありませんが・・・

このお寺の向かいの空き地の桜がきれいでした。






こんな感じで、長岡プチ旅行を終えたのでありました。