【あ】赤羽(あかばね) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

東京都北区の赤羽を散策してみました。


明治20年に、陸軍第一師団工兵隊がこの地に移転してから軍都して栄えていったようです。




JR赤羽駅をを降り、埼京線と東北本線に沿って、北上して行きました。

その両路線が分離し始めるところに、赤羽八幡神社があります。



征夷大将軍 坂上田村麻呂が勧請したと言われる神社です。

勝負事の神として信仰を集めたそうです。


ここの表参道は、埼京線の高架下をくぐって、通ってるのですが・・・



この参道の奥の方は陸軍兵器補給廠が通ってた跡らしいです。



神社入り口に戻り、埼京線の西側に展開する坂道を上がって行きました。

この坂道は師団坂と呼ばれる坂です。



上の画像ですと、左側の道路が師団坂、右の坂が八幡神社の裏参道です。


師団坂の上には、陸軍 第一師団工兵大隊、近衛師団工兵大隊があり、「赤羽工兵隊」とよばれていたそうです。



その旧陸軍第一師団第一工兵大隊兵営跡は、現在は学園となっています。


学校ですので、変にウロウロしてると怪しまれますので、ここはサラっと・・・。



その南西に病院がありますが、そこがかつての旧陸軍近衛師団工兵大隊兵営跡だそうです。



第一師団・近衛師団の両工兵跡とも、かつて何があったかの説明板などは見当たりませんでした。

知らない人にとっては、ただの学校と病院です。

病院の方には、近衛師団工兵隊跡であったことを連想させる、大正4年の御幸松の碑がかろうじて ひっそりとありました。



軍事関連施設があったことに、戦引け目を感じて大っぴらにしないのでしょうが・・・

歴史的なものは、きちんと残して、後世に伝えるべきだと思うんですよね。



病院の南の崖の下には公園がありますが、ここはかつて射撃訓練場だったそうです。




公園からJR赤羽駅に向かうため、南東方面へ歩いて行きますと、住宅街がでてきます。



この辺りは旧陸軍被服本廠跡とのことで、軍装品を生産してた敷地のようです。



近くに、こんな像が建っていました。

これも軍事関連施設であったことを払しょくするために、平和的な像を建てたのでしょうかね?

実際のことは分かりませんが、そういうパターンが多いんですよね。



赤羽駅に戻る前に、駅の南にあるお寺の静勝寺へ。

今まで、軍の関連場所跡ばかり見ましたが、ここのお寺は軍絡みではないと思います。



戦国期に大田道灌という武将がいましたが、その子孫が徳川家光に願い出て、菩提寺にしたものです。

このお寺は高台の上にあるのですが・・・



お寺になる前は稲付城と呼ばれるお城で、太田道灌が使用していたお城だったようです。




とりあえず、赤羽散策はここで終了。

けっこう坂や崖が多く、よい運動になった次第です。