【せ】洗足池(せんぞくいけ) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

昨晩、「タモリ倶楽部」で武蔵古道の特集をやってましたが、その道の途中にある洗足池が言及されてました。

その洗足池・・・自宅からけっこう近くにあるんですよね・・・

そんなわけで、今日は洗足池に行ってきました。

 

 

東急池上線で移動し、洗足池駅を降りると・・・

 

 

すぐ洗足池が見えます。


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いつもは、ここから時計回りで池を回るのですが・・・

今日は、逆時計回りで回ってみました。

 

 

まずは、妙福寺というお寺が出てきます。

 

 


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ここのお寺には、袈裟掛けの松と言われる松があります。

日蓮が洗足池のほとりで休息した際に、袈裟を松に掛けたという伝説があるそうです。

その松は、現在3代目だそうです。


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寺内から見た池です。


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もともと「せんぞく」は「千束」という字を使い、洗足池は「千束の大池」と呼ばれてたそうです。

日蓮がこの池で足を洗ったという伝説から「洗足池」の名になったそうです。

 


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寺内の馬頭観音です。

道標にもなってまして、東西南北どこに通じるか刻んであります。

北は堀之内・碑文谷、東は中延との記載が見えます。

 

 

このお寺の門を出て、向かい側に学校があるんですが・・・

 

 

そこは洗足軒という建物があったそうです。


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洗足軒は勝海舟の別荘です。

海舟はここの風景を好み、晩年を過ごしたそうです。

 

勝海舟は没後、遺言によって別荘裏に葬られます。

 

洗足軒跡の看板から北に歩いたとこに、そのお墓(勝海舟夫妻墓所)があります。


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海舟の妻のお墓も並んであり、右が海舟、左が妻の墓です。

 

この墓地の横は、西郷隆盛を偲んだ西郷隆盛留魂祠・留魂碑があります。

 


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勝海舟が建てたものですが、もともとは別な地に建てたものですが、勝夫妻の眠るこの地に移されたそうです。

勝と西郷は、幕末の江戸城無血開城の立役者であり、お互いを尊敬してたようです。

その後、西郷は西南の役で賊軍となりますが、そんな西郷の菩提を勝は弔ったようです。

 

 

さて、逆時計回りに進んでいきますと、池の北側に着きます。

 

 


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北側から南側の駅方向を見ると、こんな感じです。

 

そして、池の北側には小島があり、弁財天が祀られてます。

 


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古くからあったそうですが、由緒はよく分かってないようです。

 

そして、その北側には水源から流れる川もあります。

 


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上の画像の左を遡っていくと、当然 水源へたどりつくわけです。

「タモリ倶楽部」のタモさんの話では、ずっと遡って行くと、ポタポタと滴が落ちるような場所にたどりつくとのこと。

興味があったので遡ってみたのですが、途中で暗渠にぶつかり・・・その先が分からず・・・

ちゃんと調べて行くものですね・・・。

 

 

ここから西方向へ進んでいくと、千束八幡神社があります。

 

 


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石橋山の戦いで敗れた源頼朝が再挙し、安房から鎌倉に向かう際にここで滞在しており、「旗あげ八幡」とも呼ばれてるそうです。

その頼朝が在在中に、陣中に突如現れた駿馬・・・捕獲され、池に映る月影のようで「池月」という名がつけられたそうです。

その池月は、後の宇治川の合戦にて佐々木高綱という武将を乗せ、梶原景季の乗る磨墨という名馬と先陣争いを繰り広げ、一番乗りを果たした馬になります。

その像が、神社のふもとにありました。


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また、神社の鳥居前には池月橋という橋もありました。


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亀が甲羅干ししてました。

 

 

さて、逆時計回りで回り、駅前に着くと、中原街道改修碑がありました。

 

 


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大正のもので、歴史的には新し目のものですが・・・

目の前に中原街道が通ってるのですが、坂が多く難所が多かったようです。

交通や物流が多くなったもあり、街道が改修整備されたようです。

 

 

以上、洗足池一周です。

 

 

一周約1.2kmなので、散歩に最適な場所です。

この時期は、野鳥の鳴き声も聞こえて、気持ちいいですよ。

オススメ!