昨晩、「タモリ倶楽部」で武蔵古道の特集をやってましたが、その道の途中にある洗足池が言及されてました。
その洗足池・・・自宅からけっこう近くにあるんですよね・・・
そんなわけで、今日は洗足池に行ってきました。
東急池上線で移動し、洗足池駅を降りると・・・
すぐ洗足池が見えます。
いつもは、ここから時計回りで池を回るのですが・・・
今日は、逆時計回りで回ってみました。
まずは、妙福寺というお寺が出てきます。
ここのお寺には、袈裟掛けの松と言われる松があります。
日蓮が洗足池のほとりで休息した際に、袈裟を松に掛けたという伝説があるそうです。
その松は、現在3代目だそうです。
寺内から見た池です。
もともと「せんぞく」は「千束」という字を使い、洗足池は「千束の大池」と呼ばれてたそうです。
日蓮がこの池で足を洗ったという伝説から「洗足池」の名になったそうです。
寺内の馬頭観音です。
道標にもなってまして、東西南北どこに通じるか刻んであります。
北は堀之内・碑文谷、東は中延との記載が見えます。
このお寺の門を出て、向かい側に学校があるんですが・・・
そこは洗足軒という建物があったそうです。
洗足軒は勝海舟の別荘です。
海舟はここの風景を好み、晩年を過ごしたそうです。
勝海舟は没後、遺言によって別荘裏に葬られます。
洗足軒跡の看板から北に歩いたとこに、そのお墓(勝海舟夫妻墓所)があります。
海舟の妻のお墓も並んであり、右が海舟、左が妻の墓です。
この墓地の横は、西郷隆盛を偲んだ西郷隆盛留魂祠・留魂碑があります。
勝海舟が建てたものですが、もともとは別な地に建てたものですが、勝夫妻の眠るこの地に移されたそうです。
勝と西郷は、幕末の江戸城無血開城の立役者であり、お互いを尊敬してたようです。
その後、西郷は西南の役で賊軍となりますが、そんな西郷の菩提を勝は弔ったようです。
さて、逆時計回りに進んでいきますと、池の北側に着きます。
北側から南側の駅方向を見ると、こんな感じです。
そして、池の北側には小島があり、弁財天が祀られてます。
古くからあったそうですが、由緒はよく分かってないようです。
そして、その北側には水源から流れる川もあります。
上の画像の左を遡っていくと、当然 水源へたどりつくわけです。
「タモリ倶楽部」のタモさんの話では、ずっと遡って行くと、ポタポタと滴が落ちるような場所にたどりつくとのこと。
興味があったので遡ってみたのですが、途中で暗渠にぶつかり・・・その先が分からず・・・
ちゃんと調べて行くものですね・・・。
ここから西方向へ進んでいくと、千束八幡神社があります。
石橋山の戦いで敗れた源頼朝が再挙し、安房から鎌倉に向かう際にここで滞在しており、「旗あげ八幡」とも呼ばれてるそうです。
その頼朝が在在中に、陣中に突如現れた駿馬・・・捕獲され、池に映る月影のようで「池月」という名がつけられたそうです。
その池月は、後の宇治川の合戦にて佐々木高綱という武将を乗せ、梶原景季の乗る磨墨という名馬と先陣争いを繰り広げ、一番乗りを果たした馬になります。
その像が、神社のふもとにありました。
また、神社の鳥居前には池月橋という橋もありました。
亀が甲羅干ししてました。
さて、逆時計回りで回り、駅前に着くと、中原街道改修碑がありました。
大正のもので、歴史的には新し目のものですが・・・
目の前に中原街道が通ってるのですが、坂が多く難所が多かったようです。
交通や物流が多くなったもあり、街道が改修整備されたようです。
以上、洗足池一周です。
一周約1.2kmなので、散歩に最適な場所です。
この時期は、野鳥の鳴き声も聞こえて、気持ちいいですよ。
オススメ!