お堂の板間で私は足のしびれに悶絶している。足がしびれてしまっていて空腹が少しだけ和らいでいるのは、ありがたい。今日でやっと2日目、あと一日半の我慢だ。この空腹感からするとよっぽどダイエットもはかどっているに違いないと思う、いや、思いたい。
断食道場とか言っているけれど、2泊3日で10万円も取るんだからよっぽど高級なホテルのような寝室を期待したが、現実は残酷だ。独居房のような1畳あまりの宿房と呼ばれるスペースにお布団が1組敷いてあるだけだった。もちろんおトイレも共同、断食なので食事もない。
暇を持て余す自由時間も初日は参加者が微妙な距離感を保ちつつ、会話もなく座敷でただゴロゴロするだけだった。一緒にツアーに来たメンバーは疲れきったおばちゃんに、おじさん、後はけばけばしいギャルと私。何だか思い詰めたような顔の人ばかりでとても愉しく会話できる雰囲気ではないのだ。お互い挨拶も無し。ま、修行やら野良作業で忙しく、仲良くなるとかそれどころじゃないんだけど。
このままだと私の虎の子の10万円は水の泡ときえてゆく。もう、何なのよ!イケメンなんて影も形もない。寺の坊さんは怪しい関西弁のおっさんだし、他にいるのは壮年で強面の修行僧が数人。もしかしたら体型に気を遣う素敵なイケメンに出会えるかも…なんて淡い期待もあったのに。こうなったら、私もHINATAみたいにガッツリ痩せてやるんだから。あ、これもまた雑念か。
そう思っていると、後ろに人の気配がする。頬の横をふわっと風が通り、肩をやさしくポンポンと警策で叩かれる。この棒が”キョウサク”という事も初めて知ったくらい、私は寺についても、座禅についてほとんど何も知らなかった。このポンポンがきたら首を傾けるのだそうだ。
「喝ッ!」
煩悩だらけの私の右肩に警策が鋭く振り下ろされる。もう足のしびれが勝っていて、肩の痛みはどうでも良かった。これが『無』の境地なの?もう何も考えられない。感覚が無くなってから時間はどのくらい経ったのだろうか。
煩悩と無の境地の間を懊悩しているうちに初夏の日がどんどん上がってゆく。
背を向けていた僧侶が振り向く衣擦れの音が、静寂から私を現実に連れ戻す。
「はい、おつかれさまでした」
目を開けるとお堂にいる参加者4人それぞれが足を崩していた。生まれたての子鹿のように足をぷるぷるさせ、それぞれ悶絶している。隣にいるおばさんは生気がない顔を浮かべこちらに笑みを送ってくる。
「わたし足がしびれちゃって、あなたも?」
「あたしもですよ。もうガクガクで。座禅ってこんなにもきついんですね。あ、あたし美奈って言います、細野美奈。ほそくないんですけど、細野って名前負けで恥ずかしい」
「あらそんな事ないわよ、私は中森っていうの。短い間だけどよろしくね」
断食道場始まって以来、1日ぶりの人との会話だ。中森さんも少し寂しそうな顔から笑みがこぼれている。中森さんが足を崩すと、はだけた作務衣の下から痣だらけの足が見え隠れしている。
「あ、痣だらけじゃないですか?こんな板間に何時間も座ってたら、お肌が弱い人は痣ができちゃいますよね。まったく10万も払ったのに!ふっかふかの座布団くらい用意しとけっての、ねぇ~」
私がおばさんのような口調で問いかけると、中森さんは作務衣の下をそそくさと直して、ガクガクした足で立ち上がろうとするが立ち上がれない。あきらめた様子で私に背を向けた。ん、何なのだろう、なにか気に触る事でも言っちゃっただろうか?しばらく間があいてこちらを向き、おばさんはため息をつきながら、ゆっくり口を開いた。
「これね、座禅のせいじゃないのよ。旦那にね、蹴られ殴られてできたの。洋服きてたら見えない所よね、ひどいでしょ?私旦那から隠れる為にここにきたの。ここ田舎だし電話も通じないから…外からの人もお寺だから入れないし、私逃げてるのよ」
そう言うとゆっくり中森さんは立ち上がり、俯いてヨロヨロお堂を出て行った。
え?ここってダイエット道場じゃないの?初会話が随分ヘビーなんですけど。耳が痛いくらいに静寂なお堂にいた外のメンバーもきっと聞き耳を立てていたに違いない。みんなも、よそよそしく動き始めた。
中森さんが出てしばらくするとお堂の中の外の面子もゆっくり立ち上がり、外に向かっている。このあとは敷地内にある畑で野良作業だ。せめてこのつらい修行中、少しでも愉しく同じダイエット仲間と過ごそうと思ったのに、目的すら違うとは…残りに時間を考えると、さらにどんよりした気持ちになった。
この寺は伊豆半島にある膨大な土地を有するお寺だ。前日の自由時間に何もする事がないのでぶらぶらと敷地を散歩してみたのだが、とても数時間では廻りきれそうになかった。
崖から海に面する南面には太平洋が一望でき、日当りの良い斜面には畑が広がっていて畑の周りをツツジが彩っている。北面は急な斜面に面していて、敷地の周りをぐるりと囲いが設けてある。まさに要塞のような寺である。
野良作業に向かう為、お堂の外に出ると、門の外から激しく門を叩く音と男の声が聞こえる。中森さんがおびえた様子で柱の影にへたり込んでいた。
「おらぁ、開けろや!いるのは分かってんだぞ!静江、開けなさい!」
「帰って下さい。お願いですから」
蚊の鳴くような声で中森さんが答えている。
「いいから、ここ開けろ!」
怒鳴り散らしていた男は急に門の向こうから優しい声にかわり、諭すような声で中森さんに語りかける。
「な、静江、話すれば分かるって」
「もう無理なんです。許して下さい」
野次馬根性というのはおそろしいもので、退屈な修行中にこんな大イベントが不意に訪れたら容易にはあらがえない。それは誰もが一緒のようで、気が付けば昨日まで一言も交わさなかったメンバーも重なるようにして柱の影から門の様子を覗いていた。
「え、なになに?さっき話してた旦那がきたの?」
おじさんが小声でこちらに顔を向ける。やはり聞こえていたのだ。いい歳したオヤジが野次馬かよと思うが私も首を縦に振り、唇に人差し指を当てシーっとポーズした。
門の方ではしばらくやんでいた門を叩く音がまた激しくなる。
「おらぁ、開けろや!」
乱暴な声の向こうに向かって、法衣をまとった小太りの坊さんが向かってゆく。
「あいあい、そない大声出さんでもきこえとりますがな。今開けます、開けますよ~。もううるさくてかなんな、自分」
中森さんが坊さんに近づいてゆき、手を掴んで首を振っている。坊さんは中森さんの肩を優しく叩き、耳元で小さな声で何か伝えると、中森さんはお堂の方に小走りで消えていった。
門を開けると男が中に乗り込んでくる。
「ウチの嫁がここに隠れてるだろ、隠しても無駄だぞ。さっき声が聞こえたからな」
「何を言わはってるか、わかりませんな。ここは女人禁制のお寺や。女の人などおりませんよ。もし、百歩譲ってお宅の奥さんがかくまわれてるとしたら、その態度はあかんのとちゃいますかな?」
この坊主も相当とぼけたオヤジだ。女人禁制って。ダイエット目的の断食道場ってネットでも簡単に予約できるほどなのに。ひょうひょうと嘘をつく。
「は?お前何だよ。いいから、静江をつれてこいや!何なら力づくでも」
「そないにすごまれても、おらへんもんは出されへんわ、さ、帰り」
坊さんとの小競り合いはしばらく続き、いる、いないと禅問答のような会話が境内に響く。
隠れてそっと見ていたが、力づくで中に入ろうとした男が組み伏せられている。それでもDV男は地べたにあぐらをかいて動こうとしない。
「あぁ!こうなったら居座ってやる。警察でも何でも呼べば良い。警察は民事不介入だからな、夫婦喧嘩に口出しはできないんだよ」
「そうでっか、敷地に入ってるってことで不法侵入っちゅうことで警察呼べますけどな」
警察はまずいと思ったのか、不満そうな顔で門の外に後ずさりするDV男。
「ここなら文句ないだろ。嫁が出てくるまで、オレはここを一歩も動かないからな」
坊さんがニヤニヤして門を閉めながら、
「ウチも断食道場やってるさかいな、飯は出されへんけど、堪忍な。あんたもいつまで腹ペコで座ってられるか見物やな」
「うるせぇ、オレは門の外で待たせてもらうからな」
「どうぞ、ご自由に」
大きな音がして門にかんぬきがかけられた。
「さあさ、皆さんも農作業の時間やで、畑にいかな」
追い立てられて、中森さんを除く私達3人は畑に向かった。
一面続くダイコン畑の収穫を昼過ぎから行うのだが、さっきの騒動を見てしまった為か、皆惚けたように手が動かない。ギャル風のメイクをした女の子に至っては泣き出してしまっている。おじさんはそれをみてオロオロしている、頼りないけど私がここは彼女の力になってやるしかない。
「ねぇ、大丈夫?怖い人見ちゃって、驚いちゃった?」
ギャルは泣きじゃくってしまって軍手で顔を拭うから、マスカラが落ちるのと畑の土がつくのが相まって汚れたパンダのような顔になってしまっている。
「つらかったらさ、農作業は無理してやらなくてもいいんじゃない?私達お金払ってここに来てる訳だし、言うなればお客さんな訳じゃん。ね、大根なんていじってないでちょっと大自然でも見てさ、のんびりしようよ」
我ながらなんと説得力の無い、的外れな慰めなんだろうと思うけど、なんで泣いてるか分からないんだからしょうがない。パンダみたいな顔の女がこちらを向き、私の手を握る。
「アスカね、おばさんの旦那さんがどんな人か知らないよ。でもこんなド田舎までたった一人の為に迎えに来てくれて…アスカいいなと思っちゃって」
そう言ってまたパンダは泣き出した。パンダはアスカというらしい。そしてきっとバカだ。
「いやいやいやー。でも旦那さんが暴力ふるう人なんだよ。アスカちゃんが思うような好き嫌いってそう言うレベルじゃと思うんだけど。下手したら殺されちゃうよストーカーみたいなもんだからね」
私がすごむと、アスカちゃんは目をうるうるさせてこちらを見る。
「違うの、アスカね、アスカね、彼とお別れしたばっかりなの。だから彼が迎えに来てくれるって場面を見ただけで泣けてきちゃっうの。私の彼ね、板前さんなの。毎日おいしいお料理作ってくれたから、食事の時間になると彼の事ばかり思い出しちゃって、それでアスカ泣いてばっかりで」
聞いてもいない恋愛話が繰り広げられる中、おじさんは後はまかせたよ、と言う感じでトボトボと農作業に戻っていった。ああ、おじさん、私を一人にしないで。
「でね、でね、食べる時間になると料理してる彼の事思い出しちゃうからいっその事、食べないって決めたの。そしたら彼の事思い出さないでいられるでしょ、それでね断食道場に」
「あーそう、そうなんだ…もういい?」
話もそこそこに私も農作業に戻ることにした。泣きじゃくる若い子をほっとくのは自分でも冷たいと思ったけど、空腹も相まって、急速にバカバカしくなり聞いていられなくなった。その後も大根を見ると桂剥きを思い出すだの聞いてもいない思い出話をしながら後をついてくるので、適当に相づちを打って黙々と大根を引き抜く事に集中した。
結局の所、ダイエット目的でこの道場に来ているのは私だけなのだろうか。この調子で行くと一番ダイエット効果を上げてげっそりするのは、門の外にいるDV男なのではないかと思うと、私はだんだん頭が痛くなってきた。
後半に続く。
断食道場とか言っているけれど、2泊3日で10万円も取るんだからよっぽど高級なホテルのような寝室を期待したが、現実は残酷だ。独居房のような1畳あまりの宿房と呼ばれるスペースにお布団が1組敷いてあるだけだった。もちろんおトイレも共同、断食なので食事もない。
暇を持て余す自由時間も初日は参加者が微妙な距離感を保ちつつ、会話もなく座敷でただゴロゴロするだけだった。一緒にツアーに来たメンバーは疲れきったおばちゃんに、おじさん、後はけばけばしいギャルと私。何だか思い詰めたような顔の人ばかりでとても愉しく会話できる雰囲気ではないのだ。お互い挨拶も無し。ま、修行やら野良作業で忙しく、仲良くなるとかそれどころじゃないんだけど。
このままだと私の虎の子の10万円は水の泡ときえてゆく。もう、何なのよ!イケメンなんて影も形もない。寺の坊さんは怪しい関西弁のおっさんだし、他にいるのは壮年で強面の修行僧が数人。もしかしたら体型に気を遣う素敵なイケメンに出会えるかも…なんて淡い期待もあったのに。こうなったら、私もHINATAみたいにガッツリ痩せてやるんだから。あ、これもまた雑念か。
そう思っていると、後ろに人の気配がする。頬の横をふわっと風が通り、肩をやさしくポンポンと警策で叩かれる。この棒が”キョウサク”という事も初めて知ったくらい、私は寺についても、座禅についてほとんど何も知らなかった。このポンポンがきたら首を傾けるのだそうだ。
「喝ッ!」
煩悩だらけの私の右肩に警策が鋭く振り下ろされる。もう足のしびれが勝っていて、肩の痛みはどうでも良かった。これが『無』の境地なの?もう何も考えられない。感覚が無くなってから時間はどのくらい経ったのだろうか。
煩悩と無の境地の間を懊悩しているうちに初夏の日がどんどん上がってゆく。
背を向けていた僧侶が振り向く衣擦れの音が、静寂から私を現実に連れ戻す。
「はい、おつかれさまでした」
目を開けるとお堂にいる参加者4人それぞれが足を崩していた。生まれたての子鹿のように足をぷるぷるさせ、それぞれ悶絶している。隣にいるおばさんは生気がない顔を浮かべこちらに笑みを送ってくる。
「わたし足がしびれちゃって、あなたも?」
「あたしもですよ。もうガクガクで。座禅ってこんなにもきついんですね。あ、あたし美奈って言います、細野美奈。ほそくないんですけど、細野って名前負けで恥ずかしい」
「あらそんな事ないわよ、私は中森っていうの。短い間だけどよろしくね」
断食道場始まって以来、1日ぶりの人との会話だ。中森さんも少し寂しそうな顔から笑みがこぼれている。中森さんが足を崩すと、はだけた作務衣の下から痣だらけの足が見え隠れしている。
「あ、痣だらけじゃないですか?こんな板間に何時間も座ってたら、お肌が弱い人は痣ができちゃいますよね。まったく10万も払ったのに!ふっかふかの座布団くらい用意しとけっての、ねぇ~」
私がおばさんのような口調で問いかけると、中森さんは作務衣の下をそそくさと直して、ガクガクした足で立ち上がろうとするが立ち上がれない。あきらめた様子で私に背を向けた。ん、何なのだろう、なにか気に触る事でも言っちゃっただろうか?しばらく間があいてこちらを向き、おばさんはため息をつきながら、ゆっくり口を開いた。
「これね、座禅のせいじゃないのよ。旦那にね、蹴られ殴られてできたの。洋服きてたら見えない所よね、ひどいでしょ?私旦那から隠れる為にここにきたの。ここ田舎だし電話も通じないから…外からの人もお寺だから入れないし、私逃げてるのよ」
そう言うとゆっくり中森さんは立ち上がり、俯いてヨロヨロお堂を出て行った。
え?ここってダイエット道場じゃないの?初会話が随分ヘビーなんですけど。耳が痛いくらいに静寂なお堂にいた外のメンバーもきっと聞き耳を立てていたに違いない。みんなも、よそよそしく動き始めた。
中森さんが出てしばらくするとお堂の中の外の面子もゆっくり立ち上がり、外に向かっている。このあとは敷地内にある畑で野良作業だ。せめてこのつらい修行中、少しでも愉しく同じダイエット仲間と過ごそうと思ったのに、目的すら違うとは…残りに時間を考えると、さらにどんよりした気持ちになった。
この寺は伊豆半島にある膨大な土地を有するお寺だ。前日の自由時間に何もする事がないのでぶらぶらと敷地を散歩してみたのだが、とても数時間では廻りきれそうになかった。
崖から海に面する南面には太平洋が一望でき、日当りの良い斜面には畑が広がっていて畑の周りをツツジが彩っている。北面は急な斜面に面していて、敷地の周りをぐるりと囲いが設けてある。まさに要塞のような寺である。
野良作業に向かう為、お堂の外に出ると、門の外から激しく門を叩く音と男の声が聞こえる。中森さんがおびえた様子で柱の影にへたり込んでいた。
「おらぁ、開けろや!いるのは分かってんだぞ!静江、開けなさい!」
「帰って下さい。お願いですから」
蚊の鳴くような声で中森さんが答えている。
「いいから、ここ開けろ!」
怒鳴り散らしていた男は急に門の向こうから優しい声にかわり、諭すような声で中森さんに語りかける。
「な、静江、話すれば分かるって」
「もう無理なんです。許して下さい」
野次馬根性というのはおそろしいもので、退屈な修行中にこんな大イベントが不意に訪れたら容易にはあらがえない。それは誰もが一緒のようで、気が付けば昨日まで一言も交わさなかったメンバーも重なるようにして柱の影から門の様子を覗いていた。
「え、なになに?さっき話してた旦那がきたの?」
おじさんが小声でこちらに顔を向ける。やはり聞こえていたのだ。いい歳したオヤジが野次馬かよと思うが私も首を縦に振り、唇に人差し指を当てシーっとポーズした。
門の方ではしばらくやんでいた門を叩く音がまた激しくなる。
「おらぁ、開けろや!」
乱暴な声の向こうに向かって、法衣をまとった小太りの坊さんが向かってゆく。
「あいあい、そない大声出さんでもきこえとりますがな。今開けます、開けますよ~。もううるさくてかなんな、自分」
中森さんが坊さんに近づいてゆき、手を掴んで首を振っている。坊さんは中森さんの肩を優しく叩き、耳元で小さな声で何か伝えると、中森さんはお堂の方に小走りで消えていった。
門を開けると男が中に乗り込んでくる。
「ウチの嫁がここに隠れてるだろ、隠しても無駄だぞ。さっき声が聞こえたからな」
「何を言わはってるか、わかりませんな。ここは女人禁制のお寺や。女の人などおりませんよ。もし、百歩譲ってお宅の奥さんがかくまわれてるとしたら、その態度はあかんのとちゃいますかな?」
この坊主も相当とぼけたオヤジだ。女人禁制って。ダイエット目的の断食道場ってネットでも簡単に予約できるほどなのに。ひょうひょうと嘘をつく。
「は?お前何だよ。いいから、静江をつれてこいや!何なら力づくでも」
「そないにすごまれても、おらへんもんは出されへんわ、さ、帰り」
坊さんとの小競り合いはしばらく続き、いる、いないと禅問答のような会話が境内に響く。
隠れてそっと見ていたが、力づくで中に入ろうとした男が組み伏せられている。それでもDV男は地べたにあぐらをかいて動こうとしない。
「あぁ!こうなったら居座ってやる。警察でも何でも呼べば良い。警察は民事不介入だからな、夫婦喧嘩に口出しはできないんだよ」
「そうでっか、敷地に入ってるってことで不法侵入っちゅうことで警察呼べますけどな」
警察はまずいと思ったのか、不満そうな顔で門の外に後ずさりするDV男。
「ここなら文句ないだろ。嫁が出てくるまで、オレはここを一歩も動かないからな」
坊さんがニヤニヤして門を閉めながら、
「ウチも断食道場やってるさかいな、飯は出されへんけど、堪忍な。あんたもいつまで腹ペコで座ってられるか見物やな」
「うるせぇ、オレは門の外で待たせてもらうからな」
「どうぞ、ご自由に」
大きな音がして門にかんぬきがかけられた。
「さあさ、皆さんも農作業の時間やで、畑にいかな」
追い立てられて、中森さんを除く私達3人は畑に向かった。
一面続くダイコン畑の収穫を昼過ぎから行うのだが、さっきの騒動を見てしまった為か、皆惚けたように手が動かない。ギャル風のメイクをした女の子に至っては泣き出してしまっている。おじさんはそれをみてオロオロしている、頼りないけど私がここは彼女の力になってやるしかない。
「ねぇ、大丈夫?怖い人見ちゃって、驚いちゃった?」
ギャルは泣きじゃくってしまって軍手で顔を拭うから、マスカラが落ちるのと畑の土がつくのが相まって汚れたパンダのような顔になってしまっている。
「つらかったらさ、農作業は無理してやらなくてもいいんじゃない?私達お金払ってここに来てる訳だし、言うなればお客さんな訳じゃん。ね、大根なんていじってないでちょっと大自然でも見てさ、のんびりしようよ」
我ながらなんと説得力の無い、的外れな慰めなんだろうと思うけど、なんで泣いてるか分からないんだからしょうがない。パンダみたいな顔の女がこちらを向き、私の手を握る。
「アスカね、おばさんの旦那さんがどんな人か知らないよ。でもこんなド田舎までたった一人の為に迎えに来てくれて…アスカいいなと思っちゃって」
そう言ってまたパンダは泣き出した。パンダはアスカというらしい。そしてきっとバカだ。
「いやいやいやー。でも旦那さんが暴力ふるう人なんだよ。アスカちゃんが思うような好き嫌いってそう言うレベルじゃと思うんだけど。下手したら殺されちゃうよストーカーみたいなもんだからね」
私がすごむと、アスカちゃんは目をうるうるさせてこちらを見る。
「違うの、アスカね、アスカね、彼とお別れしたばっかりなの。だから彼が迎えに来てくれるって場面を見ただけで泣けてきちゃっうの。私の彼ね、板前さんなの。毎日おいしいお料理作ってくれたから、食事の時間になると彼の事ばかり思い出しちゃって、それでアスカ泣いてばっかりで」
聞いてもいない恋愛話が繰り広げられる中、おじさんは後はまかせたよ、と言う感じでトボトボと農作業に戻っていった。ああ、おじさん、私を一人にしないで。
「でね、でね、食べる時間になると料理してる彼の事思い出しちゃうからいっその事、食べないって決めたの。そしたら彼の事思い出さないでいられるでしょ、それでね断食道場に」
「あーそう、そうなんだ…もういい?」
話もそこそこに私も農作業に戻ることにした。泣きじゃくる若い子をほっとくのは自分でも冷たいと思ったけど、空腹も相まって、急速にバカバカしくなり聞いていられなくなった。その後も大根を見ると桂剥きを思い出すだの聞いてもいない思い出話をしながら後をついてくるので、適当に相づちを打って黙々と大根を引き抜く事に集中した。
結局の所、ダイエット目的でこの道場に来ているのは私だけなのだろうか。この調子で行くと一番ダイエット効果を上げてげっそりするのは、門の外にいるDV男なのではないかと思うと、私はだんだん頭が痛くなってきた。
後半に続く。